内藤 貞幹(ないとう さだよし)は、江戸時代中期の大名陸奥国湯長谷藩6代藩主。官位従五位下主殿頭伊賀守因幡守

 
内藤 貞幹
時代 江戸時代中期
生誕 延享3年11月15日1746年12月26日
死没 安永7年6月23日1778年7月17日
改名 幼名:雅之進
戒名 徳本院殿有隣鬢山大居士
墓所 神奈川県鎌倉市の光明寺
官位 従五位下主殿頭伊賀守因幡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
陸奥湯長谷藩
氏族 紀伊徳川家内藤氏
父母 徳川宗直、村井氏
内藤政業
兄弟 雲松院徳川宗将、友姫、桂香院
徳川治貞、松平頼央、松平信有貞幹
賢姫、達姫、薫姫、相姫ら6男10女
土方雄端
政為政広、政吉、政偏
長谷川勝浮正室
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略歴

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和歌山藩6代藩主・徳川宗直の六男として誕生した。

宝暦10年(1760年)12月、5代藩主・内藤政業が、宝暦11年(1761年)に徳川家治御目見した同年の11月14日に隠居したため、その跡を継いで養子となり叙任された。

安永7年(1778年)6月23日、死去。享年33。跡を次男の政広が継いだ。法名は徳本院殿有隣鬢山大居士。墓所は神奈川県鎌倉市の光明寺。


系譜

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子女は4男1女。

父母

正室

子女

脚注

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