内藤 清行(ないとう きよゆき)は、江戸時代中期の信濃国高遠藩の世嗣。官位従五位下若狭守

 
内藤清行
時代 江戸時代中期
生誕 元禄2年(1689年
死没 正徳3年1月16日1713年2月10日
官位 従五位下若狭守
信濃高遠藩世嗣
氏族 米津氏内藤氏
父母 米津田賢永井尚春
内藤清枚
兄弟 米津田岡米津田和清行
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略歴

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元禄2年(1689年)、大身旗本・米津田賢の三男として誕生した。

元禄16年(1703年)、信濃高遠藩初代藩主・内藤清枚の養子・長頼が廃嫡されたため、代わって養子となる。宝永元年(1704年)、叙任される。

正徳3年(1713年)、家督を相続することなく早世した。代わって、清枚の長男・頼卿が世嗣となった。