内田正徳
内田 正徳(うちだ まさのり)は、江戸時代後期から末期の大名。下総小見川藩の第8代藩主。小見川藩内田家11代。
時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文政13年8月28日(1830年10月14日) |
死没 | 文久3年5月20日(1863年7月5日) |
改名 | 求馬(幼名)→正徳 |
別名 | 喜内(通称) |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下、主殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総小見川藩主 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 父:内田正容、養父:内田正道 |
兄弟 | 正道、正徳、正縄 |
妻 | 正室:武田信之の娘 |
子 | 養子:正縄 |
生涯
編集文政13年(1830年)8月28日、第6代藩主・正容の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)8月、兄で第7代藩主の正道が若死にしたため、養子として跡を継いだ。同年9月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日従五位下主殿頭に叙任する。 嘉永6年4月、日光祭祀奉行を命じられる。嘉永7年、田安門番を命じられる。安政3年(1856年)、大坂城加番を命じられる。安政5、6年、田安門番を命じられる。安政7年3月15日、大番頭に就任する。文久2年(1862年)閏8月15日、軍艦奉行に就任する。しかし翌年5月20日に死去した。享年34。
弟の正縄が養子として跡を継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 武田信之の娘
養子
- 内田正縄 ー 実弟