内山隆道
内山 隆道(うちやま たかみち、1887年(明治20年)11月30日[1] - 1957年(昭和32年)4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
内山 隆道 | |
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生誕 |
1887年11月30日 日本 熊本県 |
死没 | 1957年4月19日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1906年 - 1939年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期卒業[1]。1934年(昭和9年)8月に第20師団兵器部長に就任し[2]、1935年(昭和10年)3月15日に陸軍砲兵大佐に進級し[3]、8月1日に高射砲第2連隊長に着任[2]。
1937年(昭和12年)11月に関東軍野戦兵器廠長に転じ[1]、1938年(昭和13年)7月に陸軍少将に進級[3]。1939年(昭和14年)3月9日に待命[2]、3月22日に予備役に編入された[1]。1944年(昭和19年)12月1日に召集され、豊予要塞司令官に着任[1]。1945年(昭和20年)6月1日には豊予要塞守備隊を基に編成された独立混成第118旅団長(第2総軍・第16方面軍)に就任し[1]、終戦時は佐伯に位置した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。