八重田
青森市の町
八重田(やえだ)は青森県青森市の地名。郵便番号030-0912。一丁目から四丁目まである。かつては、大字名でもあった。
八重田 | |
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北緯40度49分47秒 東経140度48分5.75秒 / 北緯40.82972度 東経140.8015972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 青森市 |
人口 | |
• 合計 | 2,483人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
030-0912 |
市外局番 | 017[2] |
ナンバープレート | 青森 |
地理
編集八重田は青森市の東地区に属し、市街地の東寄りに位置する。北は海岸に接し、東は武兵衛川をはさんで矢作・本泉、南は国道4号青森東バイパスをはさんでけやき、西は水路と道路を隔てて東造道、北部の八重田浄化センター付近では、西側の赤川をはさんで造道にも接している。
二丁目と三丁目の間に2号遊歩道が通る。ここは、1968年(昭和43年)まで旧国鉄の東北本線であった場所である。
地内は、おおむね住宅地であり、家並みは隣接する東造道や矢作・本泉から続いている。北部の青森県道259号久栗坂造道線沿いには商店や医院等が集まっている。南端の国道4号青森東バイパス沿いには、ラセラ東バイパスショッピングセンターがある。
歴史
編集原別に居住していた弘前藩士の斎藤武兵衛が武兵衛川を開鑿し、周辺8ヶ村(海老沼村・作道村・小柳村・戸山村・貝久保村・戸崎村・原別村・矢田村)に属していた低湿地を開墾したことに始まるという。
かつては大字名で、小字として、鶴見・露草・浜野・矢作があった。
もともと水田の多い地域であったが、昭和30年代から宅地化が進み、平成に入る頃には、ほぼ全域が住宅地となっている。
- 1722年(享保7年) - 斎藤武兵衛が弘前藩からこの地の開墾の許しを受ける。
- 1736年(元文元年) - この地が八重田村と命名される。
- 1889年(明治22年) - 東津軽郡造道村に合併し、八重田は同村の大字となる。
- 1927年(昭和2年) - 隣接する造道村大字造道とともに、青森市に編入される。
- 1928年(昭和3年) - 字浜野に農林省青森種鶏場が設置される。(のちに種畜場)
- 1994年(平成6年) - 造道・八重田地区の住居表示実施により、大字八重田のうち、矢作を除いた部分の国道4号より北側が、周辺の地域の一部も取り込み、八重田一~四丁目となった。
- 八重田一丁目 - 造道字磯野、八重田字浜野、原別字上海原の各一部
- 八重田二丁目 - 造道字磯野、八重田字浜野、八重田字露草の各一部
- 八重田三~四丁目 - 八重田字露草、矢田前字本泉の各一部
- 2003年(平成14年)- 原別・八重田地区の住居表示実施により、大字八重田字矢作の一部が矢作一~三丁目に、残りが本泉一~二丁目の一部となる。
- 矢作一~三丁目 - 八重田字矢作の一部
- 本泉一~二丁目 - 八重田字矢作、矢田前字本泉の各一部
- 2003年(平成15年) - 小柳・八重田地区の住居表示実施により、残った大字八重田が、はまなす二丁目の一部、および、けやき一~二丁目の各一部となる。
おもな施設等
編集脚注
編集- ^ 青森市 (2017年5月25日). “人口・世帯数等(住民基本台帳)”. 青森市. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。