児島献吉郎
児島 献吉郎(こじま けんきちろう、1866年7月31日〈慶応2年6月20日〉 - 1931年〈昭和6年〉12月22日)は日本の中国文学者。京城帝国大学教授。二松学舎学長。
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1866年7月31日 日本岡山県 |
死没 | 1931年12月22日 (65歳没) |
出身校 | 帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国文学 |
研究機関 | 京城帝国大学・二松学舎大学 |
経歴
編集1866年(慶応2年)、備前国(現在の岡山県)に生まれる。1888年(明治21年)帝国大学文科大学古典講習科を卒業[1]。
卒業後は帝室博物館技手、第五高等学校、東京高等師範学校教授を経て、1926年に京城帝国大学漢文科主任教授に就任。二松学舎学長も務めた。著書に「支那大文学史」「支那文学史鋼」などがある。
著書
編集- 『支那文学史』早稲田大学出版部
- 『東洋史綱』八尾書店 1895
- 『漢文典』冨山房 1902
- 『支那大文学史 古代編』冨山房 1909
- 『支那文学史綱』冨山房 1912
- 『論孟鈔本』編 光風館書店 1916
- 『支那文学考』目黒書店 1920-21
- 『文法本位漢文釈法』帝国書院 1923
- 『支那文学概論』京文社 1928
- 『日本外史鈔本』編 光風館書店 1928
- 『支那諸子百家考』目黒書店 1931
- 『支那文学雑考』関書院 1933
訳注
編集出典
編集- ^ 池田光子 (2023). “瀧川資言と西村天囚─西村家資料を用いた一考察―”. 中国研究集刊 (大阪大学中国学会) 第69号: 66 .
参考文献
編集- 人物レファレンス事典(日外アソシエーツ)