光音寺町
名古屋市北区の地名
光音寺町(こうおんじちょう)は、愛知県名古屋市北区の地名。現行行政地名は光音寺町1丁目から光音寺町4丁目と字野方(のがた)。住居表示未実施[WEB 4]。
光音寺町 | |
---|---|
北緯35度12分30.0秒 東経136度54分11.0秒 / 北緯35.208333度 東経136.903056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 北区 |
町名制定 | 1937年(昭和12年)3月1日 |
人口 | |
• 合計 | 2,490人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
462-0053[WEB 2] |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 3] |
ナンバープレート | 名古屋 |
光音寺町の位置 |
地理
編集名古屋市北区の西部に位置する。町の北部(字野方)が野方通に分断され飛地になっている。
河川
編集歴史
編集往古は森綱村と称し、現在の光音寺付近より東方に集落があったとされるが、水害を避けるため、現在の位置に移転したという。また、集落が移転した後、光音寺が創建されたため、その寺院の名にちなみ、以降光音寺村と称すようになったという(『尾張徇行記』)。専ら農業により生計を立てていた村だったが、大正から昭和初期にかけて、工業化が進行したという(『北区誌』1964年)。
沿革
編集- ~鎌倉時代 - 盛綱(森綱とも)村と称されていたが、光音寺創建により光音寺村と改称[1]。
- 1880年(明治13年) - 西春日井郡成立に伴い、同郡に所属[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 萩野村に編入され、大字光音寺となる[1]。
- 1937年(昭和12年)3月1日 - 西春日井郡萩野村大字光音寺を名古屋市西区に編入し、光音寺町に改称[2]。
- 1937年(昭和12年)11月1日 - 字葭原の一部を大野町に、字五反田の一部を金田町に編入[2]。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 字中須・方丈前・稲生町字井桁東・西新田の各一部より1丁目・2丁目を編成[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 字江下浦・野方・北浦・古墓の各一部が野方通1~4丁目へ、字江下浦の一部が桝形町1丁目へ編入[2]。
- 1945年(昭和20年)1月1日 - 北区光音寺町の一部より1-4丁目を編成。また、一部が以下の通り金城町3-4丁目・中丸町1-3丁目・萩野通1-2丁目・鳩岡町1-2丁目・水草町1-2丁目・浪打町1-2丁目に編入される[2]。
- 字彦治河戸・方丈前・郷中・中丸・江下浦・北浦・東出・水草・中須・稲生町字井桁東・西新田の各一部を光音寺町1-4丁目とする。
- 字高屋田・水草・東出・北浦の各一部が金城町3-4丁目へ編入される。
- 字彦治河戸・中須・中丸・高屋田・水草の各一部が中丸町1-3丁目へ編入される。
- 字中道間・浪打・油田・葭原・道下・五反田・古墓・鳩岡の各一部が萩野通1-2丁目へ編入される。
- 字葭原・道下・五反田・鳩岡の各一部が鳩岡町1-2丁目へ編入される。
- 字高屋田・水草・東出・浪打・中道間・油田・北浦・古墓の各一部が水草町1-2丁目へ編入される。
- 字中道間・浪打・油田・古墓の各一部が浪打町1-2丁目へ編入される[3]。
- 1945年(昭和20年)4月20日 - 字江下浦・郷中の各一部を2丁目とする。字北浦が金城町4丁目へ編入[4]。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 字高屋田の一部が金城町2丁目へ、字彦治河戸・高屋田の各一部が平手町1~2丁目へ、字油田・高屋田の各一部が八代町1~2丁目へ編入[4]。
- 1956年(昭和31年)7月13日 - 西区稲生町字杁先の一部を字野方とする[4]。
- 1978年(昭和53年)11月26日 - 住居表示の実施により、字古墓・鳩岡の残部全部および字野方の一部が川中町へ編入[4]。
字一覧
編集『愛知県地名収攬』[5]によると光音寺村には以下の字が所在した。また、それらの字が町名変更を経て現在のどの町にあたるのか『北区 私たちのまち』の記述を元にして記した。したがって実際の変遷とは多少の誤差がある可能性がある。
- 彦治河戸(ひこしのこうと)
- 現在の光音寺町・中丸町・平手町の一部にあたる。
- 中須(なかす)
- 現在の光音寺町・中丸町の一部にあたる。
- 方丈前(ほうじょうまえ)
- 現在の光音寺町の一部にあたる。
- 江下浦(えげうら)
- 現在の光音寺町・野方通・桝形町の一部にあたる。
- 北浦(きたうら)
- 現在の光音寺町・金城町・水草町の一部にあたる。
- 郷中(こうなか)
- 現在の光音寺町の一部にあたる。
- 中丸(ちゅうまる)
- 現在の光音寺町・中丸町の一部にあたる。また、中丸町の由来ともなった。
- 水草(みくさ)
- 現在の光音寺町・金城町・中丸町・水草町の一部にあたる。また、水草町の由来となった。
- 高屋田(こうやた)
- 現在の金城町・中丸町・水草町・平手町・八代町の一部にあたる。
- 油田(あぶらだ)
- 現在の萩野通・浪打町・水草町・八代町の一部にあたる。
- 葭原(よしはら)
- 現在の大野町・萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
- 浪内(なみうち)
- 現在の萩野通・水草町の一部にあたる。また、浪打町の由来ともなった。
- 東出(ひかして)
- 現在の光音寺町・金城町・水草町の一部にあたる。
- 古墓(ふるはか)
- 現在の野方通・萩野通・浪打町・水草町・川中町の一部にあたる。
- 五反田(こたんた)
- 現在の金田町・萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
- 鳩岡(はとか)
- 現在の萩野通・鳩岡町・川中町の一部にあたる。また、鳩岡・鳩岡町の由来となった。
- 道下(みちした)
- 現在の萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
- 中道間(なかみちま)
- 現在の萩野通・浪打町・水草町の一部にあたる。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
光音寺町 | 1,168世帯 | 2,490人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 2,873人 | [WEB 5] | |
2005年(平成17年) | 2,677人 | [WEB 6] | |
2010年(平成22年) | 2,487人 | [WEB 7] | |
2015年(平成27年) | 2,447人 | [WEB 8] |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 9]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 10]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
丁目・字 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
光音寺町1丁目 | 名古屋市立光城小学校 | 名古屋市立志賀中学校 | 尾張学区 |
光音寺町2丁目 | |||
光音寺町3丁目 | |||
光音寺町4丁目 | |||
光音寺町字野方 | 名古屋市立光城小学校 名古屋市立川中小学校[注釈 1] |
交通
編集鉄道
編集当町内には鉄道は存在しない。 かつて名古屋市電清水口延長線が延長され「光音寺町」電停が設置される計画が存在したというが、実現する前に路線自体が廃止された。
バス
編集- 又穂住宅東停留所[WEB 12]
- イのりば - 名駅13系統(上飯田行)・栄11系統(栄行)
- 愛工前停留所[WEB 13]
- アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)
- 福徳町停留所[WEB 14]
- アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)・黒川14系統(安井町西行)・北巡回系統(右回り黒川行)
- ウのりば - 名駅13系統(名古屋駅行)・栄13系統(栄行)
- 川中停留所[WEB 15]
- アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)・黒川14系統(安井町西行)・北巡回系統(右回り黒川行)
- ウのりば - 名駅13系統(名古屋駅行)・栄13系統(栄行)・黒川14系統(黒川行)・北巡回系統(福徳町経由左回り黒川行)
- この他、町域外ではあるが光音寺町停留所が設置されている。
道路
編集施設
編集字野方
編集- 愛知県立愛知工業高等学校跡地
- 愛知県警察名古屋交通反則通告センター
- 名古屋福徳郵便局
- 川中公園
- 東京法令出版東海営業所
- かつては愛知県警察学校が所在した。
-
川中公園(2013年11月)
3丁目
編集- 1621年(元和7年)9月13日財庵相富和尚が建て、開山は道円本成和尚によるものという[6]。本尊は地蔵菩薩[7]。脇仏として薬師如来が安置されるが、これは元々在家に伝わったものが後に納められたという[7]。
- 1395年(応永2年)11月、村瀬氏修験入我坊なる人物による不動明王安置が始まりと伝わる。もとは修験道場だったが、1873年(明治6年)より真言宗醍醐派所属。濃尾地震に被災するが、1893年(明治26年)10月再建。[8]
- 萩野幼児園
- 光和幼稚園
-
光音寺(2013年6月)
-
大龍院(2013年6月)
-
松音寺(2018年1月)
-
光和幼稚園(2013年6月)
-
萩野幼児園(2018年1月)
4丁目
編集-
名古屋市立光城小学校(2017年8月)
その他
編集『西春日井郡誌』305頁によると、光音寺かりもりと称する長さ1尺にもなるカリモリが細々と生産されていたという。
日本郵便
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集WEB
編集- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “北区の町名一覧”. 名古屋市. 2017年10月7日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) 北区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月29日). “平成17年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 北区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年6月29日). “平成22年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 北区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “平成27年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 名古屋市交通局 なごや地図ナビ 又穂住宅東2013年11月12日閲覧。
- ^ 名古屋市交通局 なごや地図ナビ 愛工前2013年11月12日閲覧。
- ^ 名古屋市交通局 なごや地図ナビ 福徳町2013年11月12日閲覧。
- ^ 名古屋市交通局 なごや地図ナビ 川中2013年11月12日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年01月06日閲覧 (PDF)
文献
編集- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 532.
- ^ a b c d e 名古屋市北区役所市民室 1979, p. 56.
- ^ 名古屋市北区役所市民室 1979, p. 63.
- ^ a b c d 名古屋市北区役所市民室 1979, p. 57.
- ^ 『愛知県地名収攬』275頁による。ただし、読み仮名は『北区誌』(1994年)にしたがった。
- ^ 『北区誌』119頁。
- ^ a b 平凡社地方資料センター 1981, p. 113.
- ^ 『北区誌』118頁。
参考文献
編集- 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年11月30日。ISBN 4-582-49023-9。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年。
関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、光音寺町に関するカテゴリがあります。