元 孝友(げん こうゆう、? - 551年)は、東魏皇族北魏太武帝の玄孫にあたる。

経歴

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臨淮王元昌(元孚の兄)の子として生まれた。兄の臨淮王元彧に男子がなかったので、孝友が臨淮王の位を継いだ。滄州刺史に累進した。孝静帝高澄と華林で宴会したとき、孝友は酔って無礼の言があったが、孝静帝と高澄はともに笑って孝友を罰しなかった[1][2][3][4]

孝友は、100家のうち25人が軍に入って、残りは徴発を免れる制度が公平でないとして、古くに置かれた三正の名を改めず、100家を4閭2比とし、12人の成人男子に12匹の絹を納めさせ、15人の成人男子に交代で1兵を出させるよう、孝静帝に上表した。また一夫一妻の風習を改めて、古制のように諸侯や官員に妾をもたせるよう上奏した。また盛大な祭儀や煩瑣な褥礼を廃するよう進言した。天保元年(550年)、北斉が建国されると、臨淮県公に降封され、光禄大夫の位を受けた。天保2年(551年)冬、晋陽宮に入り、元暉業らとともに殺害された[5][6][7][8]

脚注

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  1. ^ 氣賀澤 2021, pp. 369–370.
  2. ^ 北斉書 1972, p. 384.
  3. ^ 魏書 1974, p. 422.
  4. ^ 北史 1974, p. 609.
  5. ^ 氣賀澤 2021, pp. 370–373.
  6. ^ 北斉書 1972, pp. 385–386.
  7. ^ 魏書 1974, pp. 422–424.
  8. ^ 北史 1974, pp. 609–611.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4