倉島 至(くらしま いたる、1901年明治34年)6月19日 - 1993年平成5年)3月4日[1])は、日本政治家長野県長野市長(2期)。

倉島 至
くらしま いたる
月刊社会党』1959年2月号より
生年月日 1901年6月19日
出生地 日本の旗長野県長野市
没年月日 (1993-03-04) 1993年3月4日(91歳没)
出身校 東京帝国大学法学部法律学科(現・東京大学法学部)卒業
前職 長野県地方労働委員会事務局長
現職 長野国際親善クラブ会長
長野地裁調停委員
日韓協会長野県支部長
称号 勲四等瑞宝章
外務大臣表彰

当選回数 2回
在任期間 1954年12月12日 - 1962年12月5日
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長男はジャーナリスト倉嶋康、弟は気象学者の倉嶋厚

経歴

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長野市生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科卒業[2]。1925年朝鮮総督府に奉職。終戦時は慶尚北道内務部長、1946年引揚げ。1947年法政大学工業専門学校の教授から長野市助役となる[2]。1951年長野県地方労働委員会事務局長。

1954年の長野市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。

在任中は飯綱高原の観光開発に乗り出し、スキー場やキャンプ場などを開設。フロリダ州クリアウォーターとの姉妹都市提携に尽力した。1962年に退任し、1967年から長野国際親善クラブ会長。1968年長野地裁調停委員となる。日韓協会長野県支部長。1974年勲四等瑞宝章、1992年外務大臣表彰。

著書

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  • 「私と韓国」1985年
  • 「大峰城」1992年

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、204頁。
  2. ^ a b 「日本の歴代市長」p.244

参考文献

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外部リンク

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