信貴久治
信貴 久治(しぎ ひさじ[1]、生没年不詳)は、日本の実業家、ヤクザ。大洋観光代表取締役会長[注 1]。暴力団の信貴組組長[1]。お笑いトリオぱーてぃーちゃんの信子は娘である[1]。
経歴
編集大阪府堺市においてキャバレー、風俗店経営で富を築く[1]。1960年、信貴組が解散[3]。
「泉州の角栄」を目指して、1976年の衆議院選挙に大阪府第5区から無所属で出馬するが[4]、落選した[1]。選挙買収が発覚し、公職選挙法違反で逮捕された[1]。
実刑判決を最高裁まで争い、刑が確定した後の収監直前に姿をくらまし、1996年に大分県内で確保されるまで約3年間の逃亡生活をした[1]。
人物
編集信貴について、堺市内でクラブを営むママは「久治さんはヤクザだけど、気風のいい人だった。遊び人でもあった。徳川家の末裔[注 2]だとも話してた。彼のキャバレーが開店したとき信貴御殿の写真と自分の顔写真が印刷された紙とお皿を配っていた。羽振りがよかった」と述べている[1]。
『1000万円をこえる高額所得者全覧 大阪国税局管内(近畿地方六府県)昭和46年5月調査』に信貴久治が掲載されている[6]。住所は大阪府堺市堺区翁橋町1丁[6]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j “ぱーてぃーちゃん信子「33億円御殿」自慢の父親は伝説のヤクザ!「徳川家康の末裔」説、実家の“兄”は初耳だった”. Smart FLASH (2024年6月4日). 2024年6月4日閲覧。
- ^ 『帝国銀行会社年鑑 第70版(1990)別冊』426頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月4日閲覧。
- ^ a b 『戒厳令下の山口組(Iiboshi hot document)』141頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月4日閲覧。
- ^ 『国民政治年鑑 1977年版』310頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月4日閲覧。
- ^ “「ぱーてぃーちゃん」信子は歴史的人物の末裔で小学生時代のお年玉は50万円 スタジオ騒然”. スポニチ Sponichi Annex (2024年1月17日). 2024年6月4日閲覧。
- ^ a b 『1000万円をこえる高額所得者全覧 大阪国税局管内(近畿地方六府県)昭和46年5月調査』堺税務署管内(堺市)97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月4日閲覧。
参考文献
編集- 『1000万円をこえる高額所得者全覧 大阪国税局管内(近畿地方六府県)昭和46年5月調査』清文社、1971年。
- 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1977年版』日本社会党中央本部機関紙局、1977年。
- 飯干晃一『戒厳令下の山口組(Iiboshi hot document)』現代史出版会、1983年。
- 『帝国銀行会社年鑑 第70版(1990)別冊』帝国データバンク、1989年。