佐野助作
佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月[1])- 1910年(明治43年)9月21日[1])は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。兵庫県津名郡洲本町長。
経歴
編集豪農・塩田猪助の七男として阿波徳島藩領津名郡、のちの兵庫県津名郡塩田村(津名町を経て現淡路市)に生まれ、13歳の時に同郡物部村(洲本町を経て現洲本市物部)の大庄屋・佐野又六の養嗣子となる[2]。25歳の時、養父の死跡を相続し戸主となる[2]。1871年(明治4年)津名郡第一区戸長となり、1873年(明治6年)津名郡区長に挙げられる[2]。1875年(明治8年)職を辞し、一時民間に転じるが、1879年(明治12年)の府県会開設と共に兵庫県会議員に当選する[2]。翌年以降、郡部会副議長、常置委員と務め1883年(明治16年)辞した[2]。ほか、物部村長、同村会議員、津名郡会議員、同議長、洲本町長、津名郡水産会長、津名郡農会長、所得税調査委員、徴兵参事員などを歴任した[1]。また、淡路紡績を創設し重役を務めた[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では兵庫県第10区から出馬し当選[1]。第2回、第3回総選挙でも当選し衆議院議員を通算3期務めた[1]。自由党に属した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。