佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 - 2024年5月20日)は、日本の弁護士最高裁判所判事

概要

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福島中学校(現福島県立福島高等学校)、第一高等学校東京大学法学部卒業。戦時中に海軍に取られ、戦後に復学して1950年に弁護士になる[1]。翌1951年に外国人弁護士とともに事務所を開いた渉外弁護士の草分け[1]。石油会社、商社の顧問弁護士などをし、日弁連事務総長、第一東京弁護士会長を務めた[1]。1988年の日弁連会長選挙に立候補したが、敗れた[1]

1990年2月に最高裁判事に就任[1]

1994年2月に定年退官。TBSビデオ問題では当時の郵政省から特別調査員として招かれた[2]

1996年、勲一等瑞宝章受章[3]2024年5月21日死去。叙従三位[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)100頁
  2. ^ 長嶺超輝「サイコーですか? 最高裁!」(光文社)318頁
  3. ^ 『官報』号外108号、平成8年4月30日
  4. ^ 『官報』第1251号、令和6年6月26日