佐藤 博夫(さとう ひろお、1885年11月23日 - 1966年4月15日)は、日本実業家

来歴

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熊本県阿蘇郡北小国村に生まれ、年少期に祖母に連れて、大阪に移住[1]1904年岸和田中学を卒業[2]1907年箕面有馬電気軌道に入社[3]

専務を経て、1936年から阪神急行電鉄社長を務め[4]1943年陸上交通事業調整法による京阪電気鉄道との統合により、京阪神急行電鉄社長に就任した[5]

1946年11月に公職追放を受け、社長を辞任したが、1951年に会長として、阪急に復帰し[6]1951年阪急不動産の社長に就任し[7]1957年東宝の会長に就任[8]1956年に交通文化賞を受賞し、1964年には勲三等旭日中綬章を受章した[9]

1966年4月15日老衰のために大阪府箕面市内の自宅で死去[10]。80歳没。

脚注

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  1. ^ 佐藤博夫翁の追想 p335
  2. ^ 佐藤博夫翁の追想 p336
  3. ^ 佐藤博夫翁の追想 p337
  4. ^ 『75年のあゆみ(写真編)』阪急電鉄、1982年、p.53
  5. ^ 『京阪百年のあゆみ』京阪電気鉄道、2010年、p.208
  6. ^ 佐藤博夫翁の追想 p347
  7. ^ 佐藤博夫翁の追想 p348
  8. ^ 佐藤博夫翁の追想 p349
  9. ^ 毎日新聞1966年4月15日夕刊、11頁
  10. ^ 読売新聞1966年4月15日夕刊、16頁
先代
上田寧
京阪神急行電鉄社長
1936年 - 1946年
次代
太田垣士郎