佐古忠彦
佐古 忠彦(さこ ただひこ、1964年〈昭和39年〉8月8日 - )は、日本の映画監督、アナウンサー、コメンテーター。TBS報道局総合編集センター編集部プロデューサー。元TBSアナウンサー。
さこ ただひこ 佐古 忠彦 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1964年8月8日(59歳) |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 青山学院大学文学部教育学科 |
勤務局 | TBS |
部署 | 報道局編集部 |
活動期間 | 1988年 - |
ジャンル | 報道番組 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
「ニュースの森」 「筑紫哲也ニュース23」 「Nスタ」 「サタデーずばッと」 「Nスタ・第2部(ニューズアイ)」 「報道LIVE あさチャン!サタデー」など |
備考 2014年4月 - 9月・遅くとも2017年以降は報道局専任 |
来歴
編集生い立ち
編集神奈川県川崎市出身。國學院大學久我山高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業。
アナウンサー時代
編集1988年4月、TBSにアナウンサー24期生として入社。同期には清原正博・向井政生・香川恵美子・杉山真喜人[1][2]。
入社当時はスポーツ担当で、野球、陸上[注 1]、テニス、スケート[注 2]、バルセロナオリンピック、リレハンメルオリンピック、アルペンスキー世界選手権雫石大会等のスポーツ中継の実況、リポーター等で活躍したが、1994年5月「あなたにオンタイム」から報道担当に転向。ただし、ニューイヤー駅伝のリポーターは2006年まで担当した。
一時期激痩せしたため、一部で重病説も噂されたがダイエットをしていたことが判明。本人によると「20代の頃にはいていたジーンズがはけなくなったことにショックを受けて、肉体改造を志した」とのこと。
1996年10月から2006年9月まで「筑紫哲也ニュース23」のサブキャスターを務める他、ディレクターも担当する。「NEWS23」降板後はアナウンス部兼報道局取材センター政治部となり、報道局政治部の内勤(遊軍)記者として野党・防衛省・デスクを担当。
「NEWS23」の初代メインキャスターであった筑紫哲也が亡くなった日である2008年11月7日放送分の「NEWS23」において、初代メインキャスターの筑紫の死やこれまでの功績を伝えるVTRのナレーションを担当した。
2010年3月29日より「Nスタ」にニュースキャスターとして出演。同番組は3年半ぶりのレギュラー出演番組であったが、2011年9月30日放送分にて降板。
2011年10月3日より「ひるおび!」内の「JNNニュース」のキャスターを担当。
2013年9月28日より「サタデーずばッと」の総合司会であったみのもんたが降板したことによる総合司会代行を担当。11月9日より正式な2代目総合司会となる。
報道局プロデューサー・ニュースデスク時代
編集2014年4月に土曜朝の番組が「あさチャン!サタデー」に切り替わるとともに、いったん報道局専任となり、同局公式サイトからアナウンサーとしてのプロフィールが削除される。半年後の10月、今度は平日の担当番組が夕方の「Nスタ・第2部(ニューズアイ)」に変わると報道局編集部記者兼務と共に、アナウンサーとしてのプロフィールがふたたび掲載されるようになった。
2017年3月をもって「あさチャン!サタデー」が終了し、「Nスタ ニューズアイ」も降板。3月時点でアナウンサーとしてのプロフィールも削除されている。2017年7月26日 - 7月28日はTBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」で、かつて「ニュースの森」で共演した荒川強啓の夏季休暇時代理パーソナリティとして久々に放送出演した。
2013年からはドキュメンタリー番組「報道の魂」および後継番組「JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス」のプロデューサーを担当している[3]。2016年8月21日に放送された、沖縄の米国統治に対する抵抗運動で活動した政治家・瀬長亀次郎を特集した「報道の魂スペシャル「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」」ではディレクターを担当[4]。同番組に追加取材・再編集を行い、2017年に公開された映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の監督を務めた。
人物
編集過去の出演番組
編集スポーツ担当時代
編集- JNNおはようニュース&スポーツ(1988年10月 - 1990年3月、テレビ):スポーツコーナー担当[5]
- ニュースの森(1990年4月2日 - 1993年4月2日、テレビ):スポーツコーナー担当[6][5][7]
- JNNスポーツ&ニュース(1993年4月 - 1994年3月、テレビ):スポーツキャスター[5]
ニュース担当時代
編集- あなたにオンタイム→オンタイム(1994年5月 - 1995年9月、テレビ):ニュース担当[5]
- JNNニュース1130(1994年10月 - 1995年9月、テレビ):水曜・木曜・金曜担当[5]
- スペースJ(1995年10月 - 1996年9月、テレビ)[6][5]
- 筑紫哲也ニュース23(1996年10月 - 2006年9月、テレビ):サブキャスター[6][5]
- 新サンデーモーニング(1997年、テレビ):リポーター[5]
- 選挙特別番組
- 総力報道!THE NEWS:シリーズ企画「総理の言霊」のナレーション
報道局時代
編集- Nスタ(2010年3月29日 - 2011年9月30日):ニュース担当キャスター
- サタデーずばッと(2013年9月28日 - 2014年3月29日):2012年5月19日・2013年9月14日はみのもんた欠席時の総合司会代理
- ひるおび!JNNニュース(2011年10月3日 - 2014年10月3日)
- 報道LIVE あさチャン!サタデー(2014年4月5日 - 2017年3月25日):メインキャスター
- 前番組『サタデーずばッと』(終了時点)から続投。
- Nスタ ニューズアイ(2014年10月6日 - 2017年3月31日):総合司会
映画監督
編集- 米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー(2017年)
- 米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯(2019年)
- 生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事(2021年)[8]
- 作品宣伝でのメディア出演
- 荒川強啓 デイ・キャッチ!(TBSラジオ、2017年8月25日)
- ありがとう浜村淳です(MBSラジオ、2017年9月15日・2019年8月22日)
- カーナビラジオ午後一番!(HBCラジオ、2017年10月19日、2019年9月27日)
- 今日ドキッ!(HBCテレビ、2017年10月19日、2019年9月27日)
- RBC THE NEWS(RBCテレビ、2019年8月16日)
- 上泉雄一の日夜もええなぁ!(MBSラジオ、2019年9月23日)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"1988.4<23期生>5人入社(男4・女1)清原正博 佐古忠彦 向井政生 香川恵美子 杉山真喜人(一般職採用)"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、30頁。"88.4<23期生>4人入社 清原正博 佐古忠彦 向井正生 香川恵美子 杉山真喜人…(一般職採用)"。
- ^ 佐古忠彦 監督 PROFILE - 映画『米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~』
- ^ '16年8月21日 放送「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」 - TBSテレビ 報道の魂
- ^ a b c d e f g h 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、30頁。"佐古 忠彦… TV「おはようニュース&スポーツ(89)」「ニュースの森<スポーツ>(90)」「スポーツ&ニュース(93)」「あなたにオンタイム(94)」「JNNニュース1130(94)」「スペースJ(95)」「ニュース23(97)」「新サンデーモーニング<リポーター>(97)」"。
- ^ a b c 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"佐古忠彦 TV「ニュースの森<スポーツ>」「スペースJ」「筑紫哲也NEWS23」"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、31頁。"1990年4月2日 * 「ニュースの森」スタート(荒川強啓、久和ひとみ、佐古忠彦)"。
- ^ 映画「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」公式HP/
参考文献
編集- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
関連項目
編集外部リンク
編集- 佐古 忠彦:アナウンサー名鑑|TBS:アナウンスBoo!!(アナウンサー通信) - ウェイバックマシン(2014年11月29日アーカイブ分)