佐世保市立祇園小学校

長崎県佐世保市祇園町にある公立小学校

佐世保市立祇園小学校(させぼしりつ ぎおんしょうがっこう, Sasebo City Gion Elementary School)は、長崎県佐世保市祇園町にある公立小学校。略称「祇園小」。

佐世保市立祇園小学校
Sasebo Gion Elementary School2
地図北緯33度10分30.6秒 東経129度43分24.8秒 / 北緯33.175167度 東経129.723556度 / 33.175167; 129.723556座標: 北緯33度10分30.6秒 東経129度43分24.8秒 / 北緯33.175167度 東経129.723556度 / 33.175167; 129.723556
国公私立の別 公立学校
設置者 佐世保市
併合学校 佐世保市立戸尾小学校
佐世保市立光園小学校
設立年月日 2001年平成13年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210003016 ウィキデータを編集
所在地 857-0801
長崎県佐世保市祇園町18番18号
(旧・光園小学校)
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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歴史
2001年平成13年)に「佐世保市立戸尾小学校」と「佐世保市立光園小学校」の2校統合により開校した。2016年(平成28年)に創立15周年を迎えた。
校章
校歌
作詞は河野左千子、作曲七田英明による。3番まであり、各番とも「祇園小学校」で終わる。
  • 旧・戸尾小学校 - 作詞は風木雲太郎、作曲は高田信一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「戸尾小学校」が登場。
  • 旧・光園小学校 - 作詞は味村青二、作曲は松本民之助による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「光園小学校」が登場。
校区
住所表記で佐世保市の後に「戸尾町・塩浜町・万津町・山県町・島地町・下京町・上京町・本島町・島瀬町・湊町・栄町・常盤町・松浦町・京坪町・宮崎町・光月町・宮地町・祇園町・高梨町(一部)」が続く地域。中学校区は佐世保市立祇園中学校[1]

沿革

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旧・佐世保市立戸尾小学校(とのお)
  • 1904年(明治37年)2月11日 - 「佐世保高等小学校」(男子のみ、修業年限4年(現小4から中2に相当)が八幡谷から戸尾に移転。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常小学校の修業年限)が4年から6年に延長される。
    • これにより、従来の尋常科4年・高等科4年が「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
  • 1909年(明治42年)4月 - 前述の義務教育年限の延長により、旧高等科1・2年が尋常科5・6年に変更され、「戸尾尋常高等小学校」に改称。
  • 1917年(大正6年) - 尋常科を廃止(他校へ移管)の上、「佐世保高等小学校」()に改称。八幡谷女児尋常高等小学校の高等科が移管される。
  • 1922年(大正11年)- 女子実業補習学校を併設。
  • 1923年(大正12年)4月 - 再び尋常科を設置の上、「戸尾尋常高等小学校」()に改称。
  • 1937年(昭和12年)- 校舎を改築。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「佐世保市戸尾国民学校」と改称。尋常科を初等科と改称。
  • 1945年(昭和20年)6月29日 - 佐世保空襲により、校舎が全焼。以後分散授業を余儀なくされる。
  • 1946年(昭和21年)1月17日 - 福石元海軍工員宿舎を仮校舎として授業を再開。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・戸尾国民学校初等科を改組し、「佐世保市立戸尾小学校」が発足。高等科は新制中学校に改組。
    • 5月15日 - 川棚工員宿舎を移築する形で、新校舎が完成。
  • 1948年(昭和23年)4月17日 - 育友会が発足。
  • 1955年(昭和30年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎(9教室、第一期工事)が完成。
  • 1956年(昭和31年)6月 - 6教室を増築(第二期工事)。
  • 1957年(昭和32年)9月 - 9教室を増築(第三期工事)。
  • 1958年(昭和33年)3月 - 6教室が完成(第四期工事)。
  • 1959年(昭和34年)5月 - 講堂が完成。
  • 1962年(昭和37年)7月 - プールが完成。
  • 1963年(昭和38年)5月 - 給食室が完成。
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 閉校。最終所在地は〒857-0864 佐世保市戸尾町5番1号(北緯33度10分9.1秒 東経129度43分30.2秒 / 北緯33.169194度 東経129.725056度 / 33.169194; 129.725056 (旧・佐世保市立戸尾小学校)
    • 現在は特定非営利活動法人させぼエコプラザ・佐世保空襲資料室となっている[2]
旧・佐世保市立光園小学校(こうえん)
祇園尋常小学校
  • 1909年(明治42年)4月 - 「祇園尋常小学校」が創立。初代校長に市山治八が就任。
  • 1912年(大正元年)11月 - 校舎を増築。
  • 1917年(大正6年)4月 - 小学校再編により「祇園女児尋常小学校」となる。
  • 1919年(大正8年)
    • 4月 - 校区改定により白南風尋常小学校から64名の児童が転入。
    • 12月 - 校区改定により栄・常盤・湊町地区の児童が転入。
  • 1933年(昭和8年)1月 - 統合により廃止。
光月尋常小学校
  • 1917年(大正6年)4月 - 光月町の高地に「光月尋常小学校」が創立。初代校長に豊村勝治が就任。
    • 祇園尋常小学校から560名(男児)、戸尾尋常高等小学校から102名、八幡尋常高等小学校から38名が転入。これに新入生を合わせこの時の在籍児童数は1,241名。
  • 1923年(大正12年)11月 - 校区改定により、戸尾尋常高等小学校から436名、八幡尋常高等小学校から166名が転入。
  • 1924年(大正13年)4月 - 在籍児童が男子のみとなる。
  • 1932年(昭和7年)- 校地を拡張。
  • 1933年(昭和8年)1月 - 統合により廃止。
統合
  • 1933年(昭和8年)1月 - 光月尋常小学校と祇園女児尋常小学校の2校が統合され「光園尋常小学校」が開校。
    • 2校の校名から1文字ずつ(「光」と「園」)とって命名された。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「光園国民学校」となる。尋常科を初等科と改称。
  • 1945年(昭和20年)6月29日 - 佐世保空襲により、校舎が全焼。以後分散授業を余儀なくされる。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 全児童が琴平国民学校に収容される。
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・光園国民学校初等科を改組し、「佐世保市立光園小学校」が発足。
    • 5月 - 佐世保市立戸尾小学校の校舎に移転。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 休校となる。全児童は佐世保市立戸尾小学校に転籍[3]
  • 1950年(昭和25年)4月 - 佐世保市立山澄中学校跡地で「佐世保市立光園小学校」が再開
  • 1951年(昭和26年)9月 - 祇園町92番地に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 閉校。
統合・佐世保市立祇園小学校
  • 2001年(平成13年)4月1日 - 佐世保市立戸尾小学校と佐世保市立光園小学校が統合の上「佐世保市立祇園小学校」(現校名)が開校。
  • 2004年(平成16年)4月 - 2学期制を導入[4]
  • 2022年(令和4年)4月 - 3学期制に変更。

アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの幹線道路
  • 国道35号
  • 西九州自動車道 佐世保中央インターチェンジ

周辺

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  • 佐世保市立祇園中学校
  • 佐世保市体育文化館・コミュニティセンター
  • 長崎県立武道館弓道場
  • 長崎家庭裁判所佐世保支部
  • 阿弥陀寺
  • 佐世保市交通公園

脚注

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  1. ^ 佐世保市通学区域 (PDF) - 佐世保市
  2. ^ させぼエコプラザ - 佐世保市
  3. ^ この時、佐世保市立八幡小学校も休校となり、その児童は全員佐世保市立保立小学校へ転籍となった。この後1954年(昭和29年)に八幡小学校は再開された。
  4. ^ 2006年(平成18年)4月より佐世保市全域の市立小・中学校で導入開始。ただし宇久地区小佐々地区は2007年(平成19年)4月から導入。学校2学期制がスタートしました(PDF) - 佐世保市ウェブサイト

参考資料

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  • 「佐世保市史 教育篇」(1982年(昭和57年)5月20日, 佐世保市)p.652 - p. 655(光園小学校)

関連項目

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外部リンク

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