佐々木野資敦
江戸時代前期の公卿
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佐々木野 資敦[1](ささきの すけあつ)は、江戸時代前期の公卿。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和4年1月2日(1618年1月28日) |
死没 | 寛文2年(1662年) |
官位 | 正三位非参議 |
主君 | 後光明天皇→後西天皇 |
氏族 | 庭田家→佐々木野家 |
父母 |
父:庭田重定、母:家女房 猶父:源守賢 |
兄弟 | 庭田重秀、資敦 |
子 | 資時 |
生涯
編集※以下年齢表記は数え年。
従三位前権中納言庭田重定の二男として、元和4年(1618年)に生まれる。その2年後、父が薨去する。
寛永2年(1625年)、8歳のとき明正天皇から後光明天皇への譲位の二日後に叙爵される。同9年、15歳で元服。承応元年、35歳で従三位に叙され、公卿となった。