休日ニ関スル件
日本の法律
休日ニ関スル件(きゅうじつにかんするけん)は、祝祭日(休日)について規定した日本の勅令である。
休日ニ関スル件 | |
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日本の法令 | |
法令番号 | 昭和2年勅令第25号 |
効力 | 廃止 |
公布 | 1927年3月4日 |
施行 | 1927年3月4日 |
主な内容 | 祝祭日の規定 |
関連法令 | 国民の祝日に関する法律 |
条文リンク | 官報 1927年3月4日 |
ウィキソース原文 |
概要
編集1912年(大正元年)9月4日に公布(大正元年勅令第19号)され、即日施行。同時にそれまでの年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官布告第344号)は廃止された。
年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムから元始祭(1月3日) 、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、神武天皇祭(4月3日)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日)、春季皇霊祭(春分日)、秋季皇霊祭(秋分日)を継承。明治天皇崩御ならびに大正天皇践祚に伴い、先帝祭は孝明天皇祭(1月30日)から明治天皇祭(7月30日)に移動、天長節は8月31日に移動となった。
1913年(大正2年)7月16日の改正(大正2年勅令第259号)[1]により、天長節祝日(10月31日)を追加。大正天皇誕生日の8月31日が盛暑期であるため、式典の斎行が困難とされて設けられた。なお、式典の斎行日が移動しただけであり、8月31日が天長節として休日であることに変わりは無く、休日が1日増えることとなった。
1927年(昭和2年)3月4日の全部改正(昭和2年勅令第25号)[2]により、明治節(11月3日)を追加。大正天皇崩御ならびに昭和天皇践祚に伴い、先帝祭は明治天皇祭から大正天皇祭(12月25日)に移動、天長節は4月29日に移動となり、盛暑期を理由にした天長節祝日は廃止された。天長節祝日廃止により休日が1日減ってしまうところを明治節で穴埋めする格好になっている。
1948年(昭和23年)7月20日、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)附則第2項により、同法の施行と同時に廃止された。