伊関佑二郎
日本の外交官
伊関 佑二郎(いぜき ゆうじろう、1909年12月1日 - 1999年1月17日)は、日本の外交官。外務省アジア局長、駐オランダ兼アイルランド特命全権大使、駐インド兼ネパール特命全権大使。
生涯
編集東京出身[1]。日本統治時代の朝鮮の大田中学校(のちの大田高等学校)を経て[2]、1929年第三高等学校文科甲類卒業[3]。1932年東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]、外務省入省[4]。1949年公職資格訴願審査委員会事務局長[5]。1950年警察予備隊総隊副総監(警視監)[4][6]。1951年外務省連絡局長[7]。同年外務省国際協力局長[8]。1952年に日米合同委員会でいわゆる米軍基地を決定する協定に署名した[9][10]。その後MSA協定の交渉に関わった[11]。1954年香港総領事[4]。1957年法務省入国管理局長[12]。1958年外務省移住局長[13]。1959年外務省アジア局長[14]。1962年大臣官房審議官[15]。同年特命全権大使オランダ国駐箚[16]。1964年兼アイルランド国駐箚[17]。1966年特命全権大使インド国駐箚兼ネパール国駐箚[18]。1968年退官[19]。
出典
編集- ^ a b 東京帝国大学卒業生氏名録
- ^ 第三高等学校一覧 昭和3年4月至4年3月
- ^ 第三高等学校一覧 昭和12年4月起昭和13年3月止
- ^ a b c 伊関 佑二郎(読み)イゼキ ユウジロウ20世紀日本人名事典
- ^ 官報昭和24年本紙第6635号 210頁
- ^ 官報昭和25年本紙第7176号 158頁
- ^ 官報昭和26年本紙第7452号 128頁
- ^ 官報昭和26年本紙第7479号 212頁
- ^ 昭和27年7月26日付「官報号外第73号」 外務省告示第33号
- ^ 1952年7月26日付 毎日新聞 『米軍使用施設きょう署名 三月返還の住宅七六0 無期限提供三四八』
- ^ 増田弘 (2004). 自衛隊の誕生. 中央公論社. pp. 75~81. ISBN 4121017757
- ^ 官報昭和32年本紙第9072号 423頁
- ^ 官報昭和33年本紙第9413号 244頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9731号 81頁
- ^ 官報昭和37年本紙第10764号 23頁
- ^ 官報昭和37年本紙第10772号 267頁
- ^ 官報昭和39年本紙第11116号 2頁
- ^ 官報和41年本紙第11990号 16頁
- ^ 官報昭和43年本紙第12438号 15頁
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