伊達村望
江戸時代中期の陸奥仙台藩士。仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家5代。三沢宗直の次男。子に伊達村香(-1741.5、長男、早世)
伊達 村望(だて むらもち)は、江戸時代中期の陸奥仙台藩士。仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家5代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄10年(1697年) |
死没 | 明和2年3月4日(1765年4月23日) |
改名 | 万次郎(幼名)→伊達村常→村望 |
別名 | 主殿、左兵衛、下総、靭負、能登(通称) |
主君 | 伊達吉村→宗村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 三沢氏→伊達氏 |
父母 | 父:三沢宗直、養父:伊達村隆 |
兄弟 |
於常(伊達村和室)、伊達村直室、 伊達村興室、三沢村為、村望 |
子 | 村香、岩城隆恭、村富、三沢村保 |
生涯
編集元禄10年(1697年)、一門前沢三沢家初代当主・三沢宗直の次男として生まれる。岩谷堂伊達家4代当主・伊達村隆の養子となる。
宝永7年(1710年)5月、5代藩主・伊達吉村の加冠で元服、偏諱を受け村望と名乗る。
寛保元年(1741年)5月に長男の村香が早世し、8月に次男の村壽を継嗣とする。延享2年(1745年)、村壽が村望の甥の亀田藩5代藩主・岩城隆韶の末期養子となって家督を相続したため、三男の登(村富)を継嗣とする。
宝暦年間、医師で儒学者の河島潤安を招いて賓師の礼を取った。潤安の門下からは、志村五城、東嶼兄弟など、多数の人材を輩出することとなる。
参考文献
編集- 『伊達世臣家譜』
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