伊達村利
伊達 村利(だて むらとし)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家7代(留守氏24代)当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保16年(1731年) |
死没 | 宝暦6年6月25日(1756年7月21日) |
改名 | 亥之助(幼名)、村利 |
別名 | 景利、右近、主水 |
戒名 | 献厳俊宗大居士 |
墓所 | 岩手県奥州市の大安寺 |
主君 | 伊達宗村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達家 |
父母 | 伊達村景、小幡治兵衛娘・須美 |
兄弟 | 村明、村利、伏、薫、千久、喜和 |
妻 | 石川村満娘・千重 |
子 | 村儀 |
生涯
編集享保16年(1731年)、水沢伊達家6代当主・伊達村景の次男として誕生。幼名は亥之助。
延享3年(1746年)5月、兄・村明の早世により嫡男となる。延享5年(1748年)5月18日元服。6代藩主・伊達宗村より偏諱を受け村利と名乗る。
宝暦3年(1753年)1月27日、父・村景の死去により家督を相続する。宝暦4年(1754年)5月、家臣の小姓番山崎為教(杢左衛門)が隠し念仏の導師として本藩に捕らえられ、磔となる事件が起こった。
系譜
編集出典
編集- 『留守系譜』[要文献特定詳細情報]