伊豆大島近海地震
主な地震
編集概ねMj5.5以上の顕著な地震を列挙する。
1905年
編集1905年(明治38年)6月7日、伊豆大島の北西近海(北緯34度48分 東経139度18分 / 北緯34.800度 東経139.300度)を震央とするM5.8の地震が発生した[1]。同年5月28日から続いていた群発地震中最大のイベントで、伊豆大島北西部において破損家屋3棟、道路・石垣の崩壊などの被害を齎した。地震活動は同月15日まで続いた[2]。
1923年
編集1923年(大正12年)9月26日17時23分ごろ、伊豆大島の西方約10km(北緯34度41.5分 東経139度12.7分 / 北緯34.6917度 東経139.2117度)を震央とするMj6.8(Mw6.5[3])、震源の深さ0kmの地震が発生し、東京都八丈町、静岡県沼津市で最大震度の4を記録した他、震源から離れた福井県福井市においても最大震度の4を記録した[4]。
約3週間前に、関東南部を震源域とする関東地震(Mj7.9)が発生している。
1964年
編集1964年(昭和39年)12月9日02時49分ごろ、伊豆大島の西方約10km(北緯34度34.4分 東経139度18.3分 / 北緯34.5733度 東経139.3050度)を震央とするMj5.8、震源の深さ3kmの地震が発生し、東京都大島町で最大震度の4を観測した[4]。余震活動は非常に活発で、翌1965年4月までにM4以上の地震が21回、M5以上の地震が5回発生した。最大余震は12月29日に発生したMj5.5、最大震度4。
同時期に三原山で噴火が発生している。
1978年
編集1978年(昭和53年)1月14日12時24分ごろ、伊豆大島の西方約10kmを震央とするMj7.0(Mw6.6)、震源の深さ約15kmの地震で、東京都大島町、神奈川県横浜市で最大震度の5を記録した[4]。死者23名、行方不明者2名、負傷者211名[2]。
1982年
編集1982年(昭和57年)8月12日13時33分ごろ、伊豆大島の北東約20km(北緯34度53.0分 東経139度34.0分 / 北緯34.8833度 東経139.5667度)を震央とするMj5.7、震源の深さ30kmの地震が発生し、千葉県館山市、静岡県熱海市、東京都千代田区で最大震度の4を観測した[4]。
1986年
編集1986年(昭和61年)11月22日09時41分ごろ、伊豆大島の南南東約20km(北緯34度33.0分 東経139度31.3分 / 北緯34.5500度 東経139.5217度)を震央とするMj6.0、震源の深さ15kmの地震が発生し、東京都新島本村、三宅村、千葉県館山市で最大震度の4を観測した[4]。 伊豆大島では同年4月から地震・火山活動が活発化し、11月21日からは活動が激化していた[5]。この地震は群発地震中最大のイベントであるが、21日から全島避難が行われていた為、大島町の震度データは欠測となっている。
1989年
編集1989年(平成元年)10月14日06時14分ごろ、伊豆大島の北東約10km(北緯34度49.6分 東経139度30.0分 / 北緯34.8267度 東経139.5000度)を震央とするMj5.7、震源の深さ21kmの地震が発生し、東京都大島町、神奈川県横浜市で最大震度の4を観測した[4]。
約3ヶ月前には、伊豆東部火山群で手石海丘が形成される噴火が発生している。
1990年
編集伊豆大島近海地震(1990年) | |
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本震 | |
発生日 | 1990年2月20日 |
発生時刻 | 15時53分39.8秒 (JST) |
震央 |
日本 伊豆大島近海 北緯34度45.8分 東経139度13.8分(北緯34度45.8分 東経139度13.8分 / 北緯34.7633度 東経139.2300度) |
震源の深さ | 6 km |
規模 | 気象庁マグニチュード(Mj)6.5/モーメントマグニチュード Mw6.4[6] |
最大震度 | 震度4:東京都、静岡県、神奈川県、千葉県 |
津波 | 30cm (大島町岡田地区、南伊豆町)[7] |
地震の種類 |
プレート内地震 左横ずれ断層型[8] |
余震 | |
最大余震 | 同日16時17分 M5.1 最大震度3 北緯34度39.9分・東経139度13.7分 |
被害 | |
死傷者数 | 負傷者1名[8] |
被害地域 | 伊豆半島、伊豆大島 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1990年(平成2年)2月20日15時53分ごろ、伊豆大島の西方約10kmを震央とするMj6.5(Mw6.4)の地震が発生し、東京都、静岡県、神奈川県、千葉県などの広い範囲で最大震度の4を記録したほか、大島町と南伊豆町で最大30cmの津波を観測した。
大島町では本震によって崖崩れが発生し、一人が生き埋めとなるものの、地震から約1時間後に救出された(左手を骨折するなどの負傷)。その他、大島町では都道208号線沿いで7か所の土砂崩れが発生した。
伊豆半島側では、河津町で水道管一か所が破損し200世帯が一時断水した他、東伊豆町では町庁舎の天井板が落下、下田市では1,200世帯が一時停電、窓ガラス破損などの被害が発生した[8]。
発震機構解は北西から南東に圧縮軸を持つ横ずれ断層型で、余震震央分布が本震を北端として南に約25km伸びていることから、震源断層は左横ずれ断層であったと推定されている[8]。余震活動は本震直後はかなり活発であったが、同年3月29日までにはほぼ終息した。この期間における有感余震の回数は44回、無感地震含めると665回であった[8]。
2014年
編集2014年(平成26年)5月5日05時18分ごろ、伊豆大島近海を震央とするMj6.0(Mw6.0[9])、震源の深さ162kmの地震が発生し、東京都千代田区で最大震度の5弱を記録した[4]。負傷者16名。スラブ内地震と推定される。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 国立天文台 編『理科年表 平成29年』丸善、2016年。ISBN 978-4-621-30095-4 。
- ^ a b 地震予知連絡会会報 第20巻 3. 地震予知連絡会. (1978年8月) 2017年6月14日閲覧。.
- ^ “M 6.5 - near the south coast of Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2014年11月7日). 2017年6月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “震度データベース検索”. 気象庁. 2017年6月13日閲覧。
- ^ “伊豆大島 有史以降の火山活動”. 気象庁. 2017年6月13日閲覧。
- ^ “M 6.4 - near the south coast of Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2014年11月7日). 2017年6月13日閲覧。
- ^ 羽鳥徳太郎 (1991). “伊豆諸島周辺における津波の規模 1990年2月20日大島近海津波・1990年9月24日東海道はるか沖津波”. 地震 第2輯 44 (4): 297-303. doi:10.4294/zisin1948.44.4_297 2017年6月13日閲覧。.
- ^ a b c d e 地震予知連絡会会報 第44巻 4. 地震予知連絡会. (1990年8月) 2017年6月13日閲覧。.
- ^ “主な地震のCMT解 2014年5月” (PDF). 気象庁. 2017年6月13日閲覧。