伊東 長貞(いとう ながさだ)は、備中国岡田藩4代藩主。第3代藩主・伊東長治の長男。

 
伊東長貞
時代 江戸時代前期
生誕 寛永20年(1643年
死没 元禄6年9月1日1693年9月30日
改名 幸松(幼名)、長貞
墓所 高林寺文京区向丘
官位 従五位下信濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
備中岡田藩
氏族 伊東氏
父母 伊東長治松平勝隆養女
大久保教勝
長救遠山友春正室、斎藤三政正室、
大嶋義也正室、酒井忠成正室
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万治元年(1658年)、父の死去により家督を継いだ。近江水口城駿河駿府城の守備を務めた。

寛文4年(1664年)、藩邸を川辺の土居屋敷から岡田の中村屋敷に移した[1]

任務中の元禄6年(1693年)9月1日、駿府御加番所にて死去した。享年51。

跡を長男・長救が継いだ。

系譜

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出典

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  1. ^ 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、487-488頁。「三、川辺の殿様」