伊地知重政
伊地知 重政(いぢち しげまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。薩摩国島津氏の家臣。大隅国の国人伊地知氏10代当主。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 天文9年7月3日(1540年8月5日) |
死没 | 元和4年3月6日(1618年3月22日) |
改名 | 虎太郎(幼名)→重政→芦津(法名) |
別名 | 通称:三郎九郎、縫殿介 |
戒名 | 花叟守栄庵主 |
墓所 | 宮崎県宮崎市糸原の竜泉寺 |
氏族 | 伊地知氏 |
父母 | 父:伊地知重興、母:禰寝重就(重龍)娘 |
妻 | 肝付良兼娘 |
子 | 重順 |
伊地知重興の嫡男として誕生。片輪であったため早くから入道していたと『本藩人物誌』にあり、また和歌を好む人物であったともある。
元和4年(1618年)に死去した。嫡子の重順が地頭を務めた日向国倉岡(現・宮崎県宮崎市糸原)の竜泉寺に葬られた。
参考文献
編集- 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)