今川義順
日本の江戸時代後期の武士。江戸幕府旗本今川義用長男で、高家旗本今川氏10代当主(駿河今川氏22代当主)
今川 義順(いまがわ よしより)は、江戸時代の高家旗本。今川家22代当主[注釈 1]。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文化7年5月24日(1810年6月25日) |
死没 | 天保12年5月9日(1841年6月27日) |
改名 | 彦松(幼名) |
別名 | 太郎(通称) |
戒名 | 瑞龍院殿法雲自曻大居士[1] |
墓所 | 長延寺 |
幕府 | 江戸幕府高家 |
氏族 | 清和源氏足利氏流今川氏 |
父母 | 父:今川義用 |
兄弟 | 義順、西尾治左衛門 |
妻 | 正室:松浦清の娘・機 |
子 | 範叙 ほか |
生涯
編集文化7年(1810年)、今川義用の長男として生まれる。天保元年(1830年)2月14日、徳川家斉に初御目見する。
天保11年(1840年)4月4日、前年に没した父の遺跡を相続する。表高家に列したが、天保12年(1841年)5月9日に死去、32歳。長延寺に葬られた。
系譜
編集4男1女あり、三男の範叙を除き夭折した。
- 妻
- 子女
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)