今城 (下総国)

茨城県守谷市にあった城

今城(いまんじょ)は、茨城県守谷市けやき台にあった日本の城高野(こうや)とも[1]

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今城
茨城県
今城址・うららか公園 (2008年、国土地理院撮影)
今城址・うららか公園
(2008年、国土地理院撮影)
別名 高野館[1]
城郭構造 連郭式
築城主 平将門[2]
築城年 天慶元年(938年[2]
主な城主 興世王[2]
北畠顕国?[2]
相馬氏[1]
廃城年 1590年(天正18年)
遺構 主郭の土塁、曲輪(一部)[1]
位置 北緯35度55分55秒 東経139度59分31秒 / 北緯35.93194度 東経139.99194度 / 35.93194; 139.99194座標: 北緯35度55分55秒 東経139度59分31秒 / 北緯35.93194度 東経139.99194度 / 35.93194; 139.99194
地図
今城 (うららか公園)の位置(茨城県内)
今城 (うららか公園)
今城
(うららか公園)
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概要

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守谷市けやき台の一角、うららか公園(けやき台3-17[3])の比高約10メートルの丘が主郭の一部とされる。もとは東西600メートル、南北200メートルの大きさを有し、空堀によって下の写真のように3郭ほどに区切られていたが、現代では大半が開発されてしまっており、全容は不明である[1]。当地に三角点(基準点名は「高野」、等級は二等三角点)が設置されており、標高は21.29メートル、地理院地図上では21.3メートルと記載されている[4]

 

歴史

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平安時代

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天慶元年(938年)、平将門興世王のために分城として築城。「今築いた城」から、「今城」と命名[2]

南北朝時代

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南北朝時代相馬氏北畠顕国に与えた城とされるが根拠に乏しい[1]

戦国時代

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足利高基鮎川図書助宛てに、高野要害での戦功を賞する旨の感状を出していることから、戦国時代初期に合戦があったとされる[1]

交通アクセス

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今城址・うららか公園の位置
右は南守谷駅。
公共交通機関
関東鉄道常総線南守谷駅から西へ直線距離で約1キロメートル。近隣にけやき台公園がある[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 茨城城郭研究会 2017, p. 234.
  2. ^ a b c d e 平将門伝説”. 守谷市 (2015年1月23日). 2021年3月11日閲覧。
  3. ^ 公園等施設一覧”. 守谷市. 2021年3月13日閲覧。
  4. ^ 基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2021年3月11日閲覧。
  5. ^ Mapion電話帳 うららか公園”. Mapion. ONE COMPATH. 2021年3月11日閲覧。

参考文献

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  • 茨城城郭研究会『続・図説 茨城の城郭』国書刊行会、2017年。 

関連項目

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外部リンク

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