井口 良一 (いぐち りょういち、1885年5月29日 - 1944年10月1日)は、日本の画家版画家

来歴・人物[1]

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1885年(明治18年)5月29日 岐阜県恵那郡三濃村(現在の岐阜県恵那市)に生まれる。近代日本がはじめて遭遇した巨大地震の濃尾大地震(1891年)で被災し、長野県松本市に移住。 1900年(明治33年) 旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)に入学するが、2学年で中退。 1901年(明治34年) 東京の白馬会溜池洋画研究所に入り、旧制錦城中学(現錦城学園高等学校)に学ぶ。 1906年(明治39年) 母親の死去により研究所を退所、松本の父親経営の旅館養老館にもどる。 1922年(大正11年) 養老館廃業(現在の五千尺ホテルに引き継がれる)[2]。 1923年(大正12年) この年開校した旧制松本第二中学校(現長野県松本県ヶ丘高等学校)の嘱託教諭となる。校章のデザインを行う[3]。 1941年(昭和16年) 松本商業学校(現松商学園高等学校)の嘱託教諭となる。 1944(昭和19年)10月1日 死去。

松本美術会創立会員となり、1937年10月、松本商業学校(現松商学園高等学校)において開催されたエッチング講習会(講師:西田武雄)に参加し制作した銅版画が『エッチング』第61 号(1937.11)に掲載される。 日本山岳会会員及び信濃山岳会幹部会員。

脚注

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参考文献

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  • 【文献】「井口良一略年譜」(上条武編著『高山絵紀行』銀河書房 1984 196-197 頁)/『エッチング』

外部リンク

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