三濃村

日本の岐阜県恵那郡にあった村

三濃村(みのむら)は、かつて岐阜県恵那郡に存在したである。

みのむら
三濃村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 分割編入
岐阜県恵那郡三濃村 → 愛知県東加茂郡旭村・岐阜県恵那郡明智町
現在の自治体 愛知県豊田市・岐阜県恵那市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
恵那郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
三濃村役場
所在地 岐阜県恵那郡三濃村浅谷91-3
座標 北緯35度14分41秒 東経137度22分22秒 / 北緯35.24481度 東経137.37272度 / 35.24481; 137.37272座標: 北緯35度14分41秒 東経137度22分22秒 / 北緯35.24481度 東経137.37272度 / 35.24481; 137.37272
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

村名は三河国美濃国の両方に跨っていたことから、一文字ずつを取った合成地名である。村域は美濃三河高原であり、古くから愛知県側との交流が盛んであった[1]

昭和の大合併越境合併により、大部分が愛知県東加茂郡旭村(旭町 → 現・豊田市)に編入されたが、一部(横通地区)は岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)に編入されている。

大字・字

編集
  • 大字浅谷
  • :大平、横手、中屋、隠里、井戸洞、平柴、日蔭、ぶさ、土場、青木洞、かをれ、下万場、大屋、下の切、百々平、きびう、小坂、飛腰、中の切、井戸入、瀧の上、下洞、前田、上の切、ひじり平、辻畑、槇の下、若里、若里洞、井の口、宮の前、上平、下平、新戸、上萬場、若里平
  • 大字野原
  • :赤羽根、山口、阿瀬尾、南洞、田久谷、石畑、名柳、寺坂、藪筬、一色、新田、白坂、川西、井戸洞、城ケ洞、押場、倉久谷、上使、湯船、多幸、上切、岡田、札辻、曾良、大平峯、大平岩、小平岩、梅之郷、水洗、長洞、槇本、樫本、水別、上中、菅の澤、槇の洞、綱所、仲田、上谷久保、羽根、西羽根、猪久保、生田、大羽根、秀澤、玉ケ根、大渚、南平、日影、上貝津、六地蔵、花の木、一本松、木多橋、久々里木、下貝戸、金山、眞坂、丸根、大比良、山野田和、眞名平、中根、大入、宮の前、樋の入、猪の道、栃本、森の入、稲場、宮の洞、捕手、小阿妻、孫女、大砂、尺地、殿畑、野田久保、森下、川端、下切、平田、石原、ちくわご、間瀬口、島崎、小柳、川原、下中
  • 大字横通
  • :北澤、前洞、中洞、東洞、下洞、柏尾、向平、雨堤、下横手、前田、岩竹坂、しをりど、藤田、渡瀬、颪、乳曾、乳曾洞、すげんとう、岩竹、瀧の口、青柏、西安、梅ケ久保、平柴、下平、横平、土助、澤の尻、大畑、笹久谷、宵、上の切、久原、柳ケ入、はぜいし、瀧坂、長久谷、洞田、才坂、虚澤、中畑、向洞、やさがいと、あづき田、平柴

歴史

編集
  • 室町時代 - 旧・野原村は、元は三河国加茂郡足助庄仁木郷であったが、この地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡の領主であった遠山氏へ娘を嫁がせる際に、旧・野原村を美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたと伝えられている。
  • 江戸時代 - この地域は美濃国恵那郡であり、旗本明知遠山氏の領地であった。
  • 1873年明治6年) -
    • 一色村、上切村、上中切村、下中切村、下切村、島崎村が合併し、野原村となる。
    • 浅谷村須淵村が合併し、浅谷村となる。
  • 1875年(明治8年) - 才坂村、土助村、安主村、颪村、柏尾村、岩竹村が合併し、横通村となる。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 野原村浅谷村横通村が合併し、三濃村が発足[2][3][4][5]
  • 1955年昭和30年)4月1日 -
    • 三濃村の大部分(旧・野原村、浅谷村)が愛知県東加茂郡旭村に編入される[6]
    • 三濃村の一部(旧・横通村)が岐阜県恵那郡明智町に編入される[6]

分割編入の経緯[7]

編集

三濃村が分割・越境編入となったのは、三濃村の北部(旧・横通村)と南部(旧・野原村[8]、浅谷村)が峠で隔たれており、交流面でも北部が明智町、南部が旭村との繋がりが深かったからである。越境合併の場合、様々な問題が発生することが多いのだが、三濃村の場合、住民同士の大きなトラブルは少なく、比較的順調に行われたという。

  • 1953年(昭和28年)、岐阜県は三濃村と串原村との合併を計画する。
  • 1954年(昭和29年)1月、三濃村は愛知県旭村から合併の申し入れを受け、1月28日には検討を開始する。村は旧・野原村、浅谷村は旭村への合併、旧・横通村は明智町への合併で意見がまとまる。この動きに対し、岐阜県は反対、愛知県は静観の立場をとる。
  • 同年9月、三濃村と明智町とで旧・横通村の編入で合意がなされる。同じ頃、岐阜県と三濃村とで数度にわたり話し合いが行われ、県側は越境編入に賛成に方針変更し、1955年4月1日に分割・越境編入に決定する。

学校

編集
  • 三濃村立三濃中学校(旭村に編入後、旭村立浅野中学校に改称。町制施行で旭町立浅野中学校となった後、1996年に旭町立旭中学校に統合)
  • 三濃村立三濃小学校(旭村に編入後、旭村立浅野小学校に改称。町制施行で旭町立浅野小学校となった後、1967年に旭町立小渡小学校に統合)

脚注

編集

出典

  1. ^ 当村内を流れる川は矢作川水系である。
  2. ^ 岐阜県町村合併史
  3. ^ 恵那郡史
  4. ^ 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページでは1890年(明治23年)4月1日となっている。
  5. ^ 角川日本地名大辞典23愛知県の「野原村」の項目では、合併は1890年(明治23年)。角川日本地名大辞典21岐阜県の「三濃村」の項目では、合併は1889年(明治22年)となっており、同じ「角川日本地名大辞典」でも分かれている。
  6. ^ a b 豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
  7. ^ 「岐阜県町村合併史」P743・744より抜粋
  8. ^ 村民は旭村の神社の氏子である。

参考文献

編集
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 『岐阜県町村合併史』、岐阜県地方課、1961年。
  • 『恵那郡史』、恵那郡教育会、1926年(大衆書房 1982年復刻)。

関連項目

編集