井上勝純
井上 勝純(いのうえ かつずみ、1884年(明治17年)7月1日[1][2] - 1938年(昭和13年)9月15日[1][2][3])は、日本の海軍軍人、政治家、子爵。最終階級は海軍大佐。貴族院議員。旧名は松浦純[1]。
井上 勝純 いのうえ かつずみ | |
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生年月日 | 1884年7月1日 |
没年月日 | 1938年9月15日(54歳没) |
出身校 | 海軍兵学校 |
前職 | 海軍大佐 |
配偶者 | 井上千八重子 |
子女 | 長男・井上勝英 |
親族 |
父・松浦詮(貴族院議員) 兄・松浦厚(貴族院議員) 兄・佐竹義準(貴族院議員) 兄・大隈信常(貴族院議員) |
在任期間 | 1933年8月12日 - 1938年9月15日 |
経歴
編集東京府で伯爵・松浦詮の八男として生まれ[1][2]、子爵・井上勝の婿養子となる[1][2]。1906年(明治39年)11月、海軍兵学校(34期)を卒業し[1][4]、1907年(明治40年)12月に海軍少尉任官[1][3]。1909年(明治42年)2月、勝純に改名[1]。1910年(明治43年)8月、養父の死去に伴い子爵を襲爵[1][2]。海軍大学校選科で学んだ[1]。
以後、第2南遣枝隊参謀、横須賀鎮守府付、臨時青島要港部副官、「扶桑」分隊長、軍令部出仕(第3班第5課)、伊集院五郎元帥副官、「伊勢」分隊長、オランダ私費留学、フランス留学、「山城」分隊長、軍令部出仕(第3班第5課)、軍令部参謀などを経て[1]、1923年(大正12年)12月、海軍中佐に進級[1]。
ドイツ大使館付武官、「駒橋」艦長、給油艦「洲埼」特務艦長などを歴任し[1]、1928年(昭和3年)12月、海軍大佐となる[1]。「矢矧」艦長、「磐手」艦長、「加古」艦長などを経て[1]、1931年(昭和6年)12月、予備役に編入された[1][3]。
1933年(昭和8年)8月12日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]、研究会に所属し死去するまで貴族院議員を勤めた[3][6]。墓所は品川区東海寺大山墓地。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 小野崎誠編『海軍兵学校出身者(生徒)名簿 3版(改定版)』海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』、東京大学出版会、2005年。
日本の爵位 | ||
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先代 井上勝 |
子爵 井上(勝)家第2代 1910年 - 1938年 |
次代 井上勝英 |