二名村 (愛媛県北宇和郡)
日本の愛媛県北宇和郡にあった村
二名村(ふたなむら)は、1954年(昭和29年)まで愛媛県北宇和郡にあった村。現在の宇和島市の北東部に位置する農村。
ふたなむら 二名村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年10月10日 |
廃止理由 |
新設合併 二名村・成妙村・三間村 → 三間町 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 野村町・愛治村・好藤村・三間村 |
二名村役場 | |
所在地 | 愛媛県北宇和郡二名村大字大内 |
座標 | 北緯33度18分25秒 東経132度39分34秒 / 北緯33.30681度 東経132.65931度座標: 北緯33度18分25秒 東経132度39分34秒 / 北緯33.30681度 東経132.65931度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の宇和島市の北東部。三間盆地のほぼ中央に位置する。村の南部を三間川が東西に貫流している。北はウネンボ山などの歯長山系の山々が野村町と隔てている。東の愛治村とは加町坂で接する。西の三間村や、東の好藤村とはほぼ平地でつながっている。
歯長山系から流れ出る金銅川、川内川(川之内川)などが村内で三間川に注ぎ込む。告森川は音地、黒川地区を南北に貫流し好藤村にて三間川に合流する。三間川は広見川と、さらには四万十川と合流し、太平洋に注ぐ。
歴史
編集中世
- 西園寺氏の臣下の支配下にあった。
藩政期
明治期
- 1870年(明治3年) - 三間騒動勃発。幕末から明治の動乱期に宇和島藩・吉田藩領で多発した農民騒動の一つ。
三間村成立後
- 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制・市制施行時に、中野中(なかのなか)、波岡(なみおか)、田川(たがわ)、金銅(かなどう)、土居垣内(どいかきうち)、古藤田(ことうだ)、大内(おおうち)、兼近(かねちか)、三間中間(みまなかいだ)、黒川(くろかわ)、音地(おんじ)の11箇村の合併により二名村となる。
- 1954年(昭和29年) 10月10日 - 二名村・成妙村・三間村3村の合併で三間町となり、自治体としての歴史を閉じた。
二名村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 中野中━━━━┓ 波岡 ━━━━┫ 田川 ━━━━┫ 金銅 ━━━━┫ 土居垣内━━━╋━━━二名村━━━━━━━━━━━┓ 古藤田 ━━━┫ ┃ 大内 ━━━━┫ ┃ 兼近 ━━━━┫ ┃ 三間中間━━━┫ ┃ 黒川 ━━━━┫ ┃ 音地 ━━━━┛ ┃ 三間村━━━━━━━━━━━┫昭和29年10月10日 ┃合併 ┣━三間町━━┳━━━┓平成17年8月1日 ┃ ┃ ┃合併(新設合併) 成妙村━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┣━宇和島市 あ┃ ┃ 境界変更 ┃ 広見町大字是延 ┃ ┃ 宇和島市━━━━━┫ 吉田町━━━━━━┫ 津島町━━━━━━┛ あ - 昭和33年8月1日広見町大字是延を三間町へ境界変更 (注記)三間村等の成立以前及び宇和島市等の平成の合併以前の系譜については、それぞれの市町村の記事を参照のこと。
地域
編集明治の合併前の村である11箇村がそのまま大字となり、三間町となってからも続いた。
行政
編集- 役場
- 大字大内に置かれていた。
産業
編集- 農業
- 米、麦、タケノコ、栗などを産する。養蚕も営まれる。
交通
編集名所
編集- 妙光寺 文殊菩薩
- 中世の城跡 - 高森城跡(衣笠城跡)、阿古目城跡、井関城跡 など
- 七人の聖の墓
- 穴ヶ滝
民俗
編集- 音地八十八ヶ所
- 音地節