二代目浅尾為十郎(にだいめ あさお ためじゅうろう)安永8(1779年(安永8年) - 1806年(文化3年)7月25日)は、江戸後期の上方の歌舞伎役者。俳名、山子・奥山。屋号、銭屋。

初代浅尾為十郎の子、1791年(寛政3年)、13歳で浅尾奥次郎と名乗り、若年ながら座元となる。その後興行師を続けながら舞台活動に勤しみ、やがて父の代役を勤めるなど力をつけ、父の存命中の1803年(享和3年)11月、大阪にて二代目為十郎を襲名する。 1804年(文化元年)父の没後は、次代を担う花形役者として注目されるが、その矢先の 1806年(文化3年)大阪中座「のべの書置」での紙屋治兵衛を最期の舞台として、同年7月京で病死。父の陰に隠れて大成出来ぬままに夭折したのが惜しまれる。

参考文献

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歌舞伎人名事典 野島寿三郎 日外アソシエーツ 1992 ISBN 4-8169-0813-7 C0574