九鬼 精隆(くき きよたか)は、江戸時代後期の大名摂津国三田藩12代藩主。官位従五位下丹波守長門守。九鬼氏24代当主。

 
九鬼 精隆
時代 江戸時代後期
生誕 文政7年4月14日1824年5月12日
死没 安政6年8月19日1859年9月15日
墓所 兵庫県三田市西山の心月院
官位 従五位下丹波守長門守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定家茂
摂津三田藩
氏族 九鬼氏
父母 父:九鬼隆徳
兄弟 精隆、シゲ、西貢室
正室:於咸大村純昌七女)
於金ら、隆義
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略歴

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11代藩主九鬼隆徳の長男として誕生。

嘉永7年(1854年)1月20日、父の隠居で跡を継いだ。安政6年(1859年)8月19日に36歳で死去したが、男子がなく、娘3人も2人が既に夭折、2歳の娘1人が残るのみであったため、御家断絶の危機にさらされた。精隆の死を隠匿して綾部藩より迎えた隆義を婿養子に決め、9月18日に幕府に急養子の届けを出して許可を得た(末期養子)。そのような事情のため、精隆の死が発表されたのは9月23日であった。

 
九鬼精隆の墓(兵庫県三田市心月院)