九条経教

南北朝時代~室町時代初期の公卿。従一位・関白、左大臣。勅撰集『風雅和歌集』以下に13首入集。藤氏長者。九条家10代。子に孝円(1378-1410.4.30、興福寺、別当、大乗院、大僧正、長谷寺別

九条 経教(くじょう つねのり)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿関白二条道平の子。関白・九条道教の養子。官位従一位・関白、左大臣

 
九条経教
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 元弘元年/元徳3年(1331年
死没 応永7年5月21日1400年6月13日
改名 経教→祐円(法名)
別名 号:後報恩院
官位 従一位関白左大臣
主君 後醍醐天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 二条家九条家
父母 父:二条道平、養父:九条道教
養母:大宮季衡
兄弟 二条良基二条良忠、栄子、経教
富小路道直
冷泉定親娘、家女房
忠基教嗣孝円満家経覚道尊仁意
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経歴

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建武2年(1335年)に元服し、翌建武3年/延元元年(1336年)に侍従に任じられた。暦応元年/延元3年(1338年北朝方の公家として従三位に叙せられ、暦応4年/興国2年(1341年権中納言に任じられる。その後権大納言を経て、貞和3年・正平2年(1347年右大臣、貞和5年/正平4年(1349年)左大臣、延文3年/正平13年(1358年)関白と昇任し、藤氏長者となる。

延文5年/正平15年(1360年)左大臣を辞し、翌康安元年/正平16年(1361年)には関白も辞任している。応永2年(1395年室町幕府3代将軍足利義満の出家と共に経教も出家した。法名は祐円。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『二尊院志稿』
  2. ^ 『系図纂要』
  3. ^ 辻川達雄『蓮如と七人の息子』誠文堂新光社、1996年
  4. ^ 『大乗院門跡次第』『諸門跡伝』