九暦

平安中期の公卿、藤原師輔の日記

九暦(きゅうれき)は、平安時代中期の公卿で、朝廷儀礼のひとつである九条流の祖、右大臣藤原師輔の日記である。父藤原忠平の日記『貞信公記』や、式部卿重明親王の日記『吏部王記』等とともに、平安時代中期の政治史を知る上での一級史料である。

師輔は九条殿に住んでおり、極官が右大臣であったことから、『九条右大臣記』『九条記』『九記』など多くの呼び名がある[1]。『九暦』は、九条の「九」と、当時の日記に多くが具注暦に書かれることから、具注暦の「暦」をとって後人が付けた名称である。

本書は、原形のままでは伝わっておらず、天暦元年(947年)・2年・3年、天徳元年(957年)・2年・3年・4年(960年)の記事の抄録本(『九暦抄』)、承平2年(932年) - 天徳4年までの大饗・五月節・成選短冊の部類記(『九条殿記』)、承平6年(936年) - 天慶9年(946年)までの父忠平の教命の筆録(『九暦記』〈貞信公教命〉)、天慶4年(941年)の本記の断簡(『九暦断簡』)、『西宮記』『小右記』等にみられる逸文(延長8年(930年) - 天徳4年(960年))によって内容を知ることができる。

記録期間については、日記全体が残っていないため定かではないか、上記の抄本や逸文などの残存状況から勘案して、師輔23歳の延長8年から師輔没年の天徳4年までの期間であったと考えられる。『九暦抄』の天徳4年条に「御出家」(大日本古記録本『九暦』29ページ)という記載がある。本文の月日は欠けているものの、『日本紀略』等から、師輔の出家は天徳4年5月2日であることが確認される。師輔は同年5月4日に薨去しているから、その2日前まで日記を筆録していたことがうかがえる。

写本の所蔵については、まとめると以下の通りである。

刊本は、活字化されたものが『大日本古記録』、『続々群書類従』(『九暦抄』のみ)に収められている。影印本は、『九条殿記』が『天理図書館善本叢書』に収録されている。

脚注

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  1. ^ 倉本 2024, p. 198.

参考文献

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  • 倉本, 一宏『平安時代の男の日記』株式会社KADOKAWA〈角川選書〉、2024年7月31日。ISBN 978-4-04-703728-1