久米御縣神社
奈良県橿原市久米町にある神社
久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)は、奈良県橿原市久米町にある神社。式内社で、旧社格は村社。
久米御縣神社 | |
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所在地 | 奈良県橿原市久米町786 |
位置 | 北緯34度28分59秒 東経135度47分24秒 / 北緯34.48306度 東経135.79000度座標: 北緯34度28分59秒 東経135度47分24秒 / 北緯34.48306度 東経135.79000度 |
主祭神 |
高皇産霊命 大来目命 天櫛根命 |
社格等 | 式内社(小)、村社 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 10月14日 |
歴史
編集創建の由緒は不詳である。「御県神社」という神社は大和国内に7社あり、いずれも皇室の御料地である御県(みあがた)に鎮座していたものである。『日本書紀』垂仁天皇27年に「是歳、来目邑に屯倉を興す」という記述があり、創建もその頃とみられる。
延喜式神名帳では「大和国高市郡 久米御縣神社三座」と記載され、式内社・小社に列格している。ただし、延喜式祈年祝詞には他の6つの御県神社が記載されているが、当社は含まれていない。
久米氏の衰退と共に当社も衰微したが、隣接して久米寺が創建されると当社はその鎮守社・天神社または久米宮として再建された。江戸時代中期頃からは天満宮や天神社と呼ばれるようになった。現在も、「天満宮」「天神社」と書かれた燈籠が数多く残る。
1868年(明治元年)の神仏分離により久米寺から分離され、明治中期に久米御縣神社に改称した。また、村社に列せられている。
祭神
編集『五郡神社記』では「天櫛根大久米命」で一つの神名としており、『式内社調査報告』では、元は一柱の神であったものが近世に2つに分割して伝えられたものであると考えられるとしている。
大来目命は神武天皇に使えた久米部遠祖の人物である。一帯は久米部の居住地であった来目邑であり、その祖神を祀ったものである。