久世 暉之(くぜ てるゆき)は、江戸時代中期の下総国関宿藩主。関宿藩久世家3代。

 
久世暉之
時代 江戸時代中期
生誕 元禄12年(1699年
死没 寛延2年8月18日1749年9月29日
改名 源五郎(幼名)、暉之
墓所 東京都豊島区本妙寺
官位 従五位下隠岐守讃岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
下総関宿藩
氏族 久世氏
父母 久世重之:不詳
兄弟 暉之広籌広般松平康員正室、石川総慶正室ら
正室津軽信寿の娘
養子広明
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生涯

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元禄12年(1699年)、当時は三河吉田藩主だった久世重之の四男として三河吉田で生まれる。重之は宝永2年(1705年)に関宿へ転封された。兄3人が早世したために世子となり、正徳3年(1713年)3月7日に従五位下・隠岐守に叙位・任官する。享保5年(1720年)、父の死去により家督を継いだ。このとき、弟の久世広籌に5000石を分与した。

寛保2年(1742年)、寛保二年江戸洪水により、関宿城および領内に甚大な被害を受ける。延享2年(1745年)9月3日に讃岐守に遷任する。寛延元年(1748年)8月22日に養子の広明に家督を譲って隠居する。

寛延2年(1749年)8月18日に死去した。享年51。

系譜

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父母

正室

養子