丹羽氏昭
丹羽 氏昭(にわ うじてる)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。播磨国三草藩4代藩主。氏次系丹羽家10代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 天明3年7月24日(1783年8月21日) |
死没 | 文政10年9月2日(1827年10月22日) |
別名 | 勘助 |
戒名 | 天徳院殿松嶽現龍大居士 |
墓所 | 東京都港区西麻布の長谷寺 |
官位 | 従五位下式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 播磨三草藩主 |
氏族 | 一色丹羽氏 |
父母 | 丹羽氏福、細川興文娘 |
兄弟 |
氏昭、細川興祥、氏充、森川俊朝、 小出英武、野々山兼養、大道寺氏元、 戸田直智、伊東祐直、石合清敦、 朽木大綱正室、松平忠侯養女 |
妻 | 松平忠済娘 |
子 | 男、松、氏賢、氏謙、靱負之助、剛、屋津、澄、男 |
略歴
編集天明3年(1783年)7月24日、第3代藩主丹羽氏福の長男として生まれる。寛政8年(1796年)2月6日、父の隠居で家督を継ぐ。寛政10年(1798年)10月1日に将軍徳川家斉に拝謁、12月16日に叙任する。
享和元年(1801年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。文化元年(1804年)11月19日、大番頭に就任する。文化12年1月12日、伏見奉行に就任する。文政2年8月8日、奏者番に就任する。文政10年(1827年)9月2日、父に先立って死去した。享年45。跡を長男の氏賢が継いだ。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。