丸毛信勝
日本の昆虫学者
丸毛 信勝(まるも のぶかつ、1892年(明治25年)- 1977年(昭和52年))は、大分県臼杵市出身の昆虫学者、農学博士、ゴルフ場設計者。
Nobukatsu Marumo | |
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基本情報 | |
名前 | 丸毛 信勝 |
生年月日 | 1892年??月??日 |
没年月日 | 1977年??月??日 |
国籍 |
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出身地 | 大分県臼杵市 |
経歴 |
人物
編集丸毛信勝は、1892年(明治25年)、大分県臼杵市の臼杵藩士、町奉行の家柄に生まれ、旧制杵築中学校を卒業し、東京帝国大学農学部に入学、昆虫学の三宅恒方に学んだ[1]。
丸毛は蝶の研究で権威といわれ、日本昆虫図鑑を作成し、1921年(大正10年)、29歳で農学博士になった[1]。その後、ドイツに留学し、帰国後、1964年(昭和39年)、釧路女子短期大学の学長を務めた[1]。
ある時、芝の害虫調査の依頼があった、旧制杵築中学校の海軍中尉・吉良俊一(後・海軍中将)からである[1]。丸毛は芝調査をするため、イギリスやアメリカのゴルフ場を視察し調べた[1]。イギリスのリンクスコースを調べたら、海岸にも近く芝付きも問題ないことが分かり、砂地への芝付きの技術が解明された[1]。当時は、砂地には芝は根付かないということが定説になっていた[1]。
丸毛は「川奈ホテルゴルフコース」の造成工事に参加した、相模湾に面した海岸線のゴルフ場である[1]。造成工事中、丸毛はコースが見渡せる丘陵地に自宅を建てた[1]。ゴルフ場に接することで、ゴルフ場のコース設計にも興味を持ち手掛けるようになった[1]。昆虫博士から、芝の研究をし、芝の権威となり、多くのコースの設計を手掛けるようになった[1]。
主な設計コース
編集- 1954年(昭和29年)
- 「大富士ゴルフクラブ」(旧・大富士ゴルフ場)静岡県富士市
- 「高松カントリー倶楽部」香川県坂出市
- 1955年(昭和30年)
- 「広島カンツリー倶楽部・西条コース」広島県東広島市
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 「芦原ゴルフクラブ」福井県あわら市
- 1963年(昭和38年)
- 「帯広カントリークラブ」北海道河西郡
- 1966年(昭和41年)
- 「甲賀カントリー倶楽部」滋賀県湖南市
- 1967年(昭和42年)
- 「気仙沼カントリークラブ」宮城県気仙沼市
- 1968年(昭和43年)
- 「大館カントリークラブ」秋田県大館市
- 1970年(昭和45年)
- 「西仙台カントリークラブ」宮城県仙台市
- 1976年(昭和51年)
- 「相模野カントリー倶楽部」神奈川県相模原市
脚註
編集関連文献
編集- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昆虫博士が芝の研究をしたことからゴルフ場の設計を手がける」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月6日閲覧