中院通時
鎌倉時代後期の公卿
中院 通時(なかのいん みちとき)は、鎌倉時代後期の公卿。官位は正二位・権中納言。
時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 文永10年(1273年) |
死没 | 不明 |
官位 | 正二位・権中納言 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇 |
氏族 | 村上源氏中院家 |
父母 | 父:中院通頼、母:姉小路顕朝娘 |
兄弟 | 通重、通時、鷹司冬平正室 |
経歴
編集以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 建治元年(1275年)10月8日、叙爵。
- 建治3年(1277年)11月5日、従五位上に昇叙。
- 弘安2年(1279年)11月19日、正五位下に昇叙[1]。
- 弘安4年(1281年)11月5日、侍従に任ぜられる。
- 弘安6年(1283年)1月5日、従四位下に昇叙。
- 弘安8年(1285年)3月1日、従四位上に昇叙。
- 弘安9年(1286年)1月13日、左少将に任ぜられる。
- 弘安10年(1287年)1月13日、周防介を兼ねる。
- 弘安11年(1288年)4月7日、右中将に転任。同年11月21日、正四位下に昇叙。
- 正応4年(1291年)1月3日、従三位に叙される[2]。4月2日、中宮権亮は元の如し。
- 正応5年(1292年)12月25日、中宮権亮を止める。
- 永仁元年(1293年)1月7日、正三位に昇叙。
- 永仁2年(1294年)12月24日、右衛門督を兼ねる。
- 永仁3年(1295年)1月28日、左中将に任ぜられる。同年12月29日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。
- 永仁4年(1296年)3月9日、左衛門督を兼ね検非違使別当に補される。4月13日、権中納言に任ぜられる。10月24日、左衛門督と検非違使別当を辞し、11月3日には帯剣を許される。
- 永仁5年(1297年)3月20日、従二位に昇叙[3]。
- 永仁6年(1298年)6月23日、権中納言を辞退し正二位に昇叙。
- 正和元年(1312年)9月21日、出家。