中郷村 (鳥取県)
日本の鳥取県気高郡にあった村
中郷村(なかのごうそん[3][4][5]、ちゅうごうそん[6])は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。
なかのごうそん 中郷村 | |
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廃止日 | 1953年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 青谷町(初代)、勝部村、中郷村、日置谷村 → 青谷町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 12.25 km2 |
総人口 |
1,457人 ([1]、1952年) |
隣接自治体 |
青谷町(初代)、勝部村、日置村、日置谷村 東伯郡泊村 |
中郷村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡中郷村大字亀尻字深田156番1[2] |
座標 | 北緯35度30分11秒 東経133度59分10秒 / 北緯35.5031度 東経133.986度座標: 北緯35度30分11秒 東経133度59分10秒 / 北緯35.5031度 東経133.986度 |
特記事項 | 座標は現在の中郷地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集現在は鳥取市西端の青谷町亀尻・青谷町鳴瀧・青谷町北河原・青谷町山田・青谷町吉川・青谷町絹見・青谷町露谷、および青谷町栄町(青谷町亀尻の一部から設置[7])に相当する。勝部川中流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の気多郡勝部中郷(かちべなかのごう)に属する吉川村(苔川村)・亀尻村・北河原村・鳴瀧村・山田村、絹見保(きぬみのほ)に属する絹見村、および露谷庄(つゆたにのしょう)に属する露谷村があった[1]。
沿革
編集- 1883年(明治16年)3月 - 気多郡第七連合戸長役場を鳴瀧村に設置。なお吉川村・絹見村・露谷村は同六連合戸長役場(青谷村)の管轄区域となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、鳴瀧村・北河原村・山田村・亀尻村・吉川村・絹見村・露谷村が合併して村制施行し、気多郡中郷村が発足。旧村名を継承した7大字を編成し、役場を亀尻村に設置[1][4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡中郷村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「中郷村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「中郷村大字◯◯」と改称[8]。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 青谷町(初代)・勝部村・日置谷村と合併し、改めて青谷町(2代)が発足。同日中郷村廃止[9]。
行政
編集戸長
編集歴代村長
編集代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 後藤勘次郎 | 1889年(明治22年)11月 | 1893年(明治26年)11月 | |
2 | 広富幸松 | 1893年(明治26年)11月 | 1894年(明治27年)11月 | |
3 | 広富政蔵 | 1894年(明治27年)11月 | 1896年(明治29年)9月 | |
4 | 山崎亀蔵 | 1896年(明治29年)9月 | 1899年(明治32年)12月 | |
5 | 伊藤萬吉 | 1899年(明治32年)12月 | 1903年(明治36年)3月 | |
6 | 渡辺鹿藏 | 1903年(明治36年)3月 | 1903年(明治36年)5月 | |
7 | 伊藤萬吉 | 1903年(明治36年)5月 | 1907年(明治40年)6月 | |
8 | 山崎輝蔵 | 1907年(明治40年)7月 | 1907年(明治40年)9月 | |
9 | 広富政蔵 | 1907年(明治40年)9月 | 1907年(明治40年)11月 | |
10 | 植田竹蔵 | 1907年(明治40年)12月 | 1908年(明治41年)8月 | |
11 | 清水紋蔵 | 1908年(明治41年)8月 | 1909年(明治42年)3月 | |
12 | 森源八 | 1909年(明治42年)3月 | 1911年(明治44年)11月 | |
13 | 山崎輝蔵 | 1911年(明治44年)11月 | 1914年(大正3年)7月 | |
14 | 後藤益蔵 | 1914年(大正3年)7月 | 1915年(大正4年)2月 | |
15 | 後藤侃司 | 1915年(大正4年)3月 | 1917年(大正6年)5月 | |
16 | 青木紋蔵 | 1917年(大正6年)7月 | 1918年(大正7年)12月 | |
17 | 森竹蔵 | 1919年(大正8年)2月 | 1921年(大正10年)6月 | |
18 | 鱸重吉 | 1921年(大正10年)10月 | 1923年(大正12年)12月 | |
19 | 植田竹蔵 | 1924年(大正13年)1月 | 1926年(大正15年)1月 | |
20 | 青木猪之吉 | 1926年(大正15年)1月 | 1930年(昭和5年)2月 | |
21 | 小林甚平 | 1930年(昭和5年)2月 | 1934年(昭和9年)2月 | |
22 | 森竹蔵 | 1934年(昭和9年)2月 | 1938年(昭和13年)2月 | |
23 | 加藤辰次 | 1938年(昭和13年)2月 | 1946年(昭和21年)2月 | |
24 | 広富潔 | 1946年(昭和21年)2月 | 1953年(昭和28年)6月30日 | 合併後、青谷町長代行を務めた |
参考文献 - [1] |
教育
編集交通
編集- 最寄りの駅:青谷駅
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 青谷町誌(青谷町誌編さん委員会、1984年)
- ^ 鳥取県気高郡勢要覧 大正11年(鳥取県気高郡、1924年)
- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ a b 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 帝国市町村便覧(1915年)
- ^ 1950年国勢調査のローマ字表記、小学校名、現在の公民館名など
- ^ 町名地番の新旧対照表について(鳥取市総務部総務課)
- ^ 「字名改称」『官報』1914年9月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第280号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2424号』1953年6月23日(鳥取県立公文書館)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)