中臣広見

奈良時代の貴族

中臣 広見(なかとみ の ひろみ)は、奈良時代貴族中納言中臣意美麻呂の子。官位正五位上神祇伯

 
中臣 広見
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位上[1]神祇伯
主君 元正天皇聖武天皇
氏族 中臣氏
父母 父:中臣意美麻呂
母:紀大人娘・奈賀岐娘
兄弟 東人、安比等、広見、長人、豊人、
豊足、大中臣清麻呂、泰麻呂
加治、占主、等志、、武良士、
小武名、比登、十足、豊河、久爾
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経歴

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養老7年(723年正六位上から従五位下叙爵神亀元年(724年)に持節大将軍藤原宇合らによって行われた蝦夷征討に参画したらしく、翌神亀2年(725年)正月に征討軍参加者に対して行われた叙位叙勲に際して、従五位上および勲五等を与えられている。

その後、天平年間初頭に右中弁神祇伯を歴任する一方、天平元年(729年正五位下、天平3年(731年)正五位上と順調に昇進している。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

  • 父:中臣意美麻呂
  • 母:紀奈賀岐娘 - 紀大人の娘
  • 妻:不詳
    • 男子:中臣加治
    • 男子:中臣占主
    • 男子:中臣等志
    • 男子:中臣常
    • 男子:中臣武良士
    • 男子:中臣小武名
    • 男子:中臣比登
    • 男子:中臣十足
    • 男子:中臣豊河
    • 男子:中臣久爾

脚注

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  1. ^ 『中臣氏系図』(群書類従)では正六位上とするが正五位上の誤記か。

参考文献

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