カトリック中町教会
(中町教会から転送)
カトリック中町教会(カトリックなかまちきょうかい)は、長崎県長崎市にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂である。長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつであり[1]、残った塔や外壁を利用して復元された[2]。
カトリック中町教会 | |
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座標: 北緯32度45分6秒 東経129度52分26.6秒 / 北緯32.75167度 東経129.874056度 | |
所在地 | 長崎県長崎市中町1-13 |
国 | 日本 |
教派 | カトリック教会 |
ウェブサイト | http://nakamachi.sakura.ne.jp/ |
歴史 | |
創設日 | 1889年 |
守護聖人 | 聖トマス西と15殉教者 |
初期守護聖人 | 聖ヨセフ |
関連人物 | イグナチオ本島等 |
管轄 | |
教区 | カトリック長崎大司教区 |
教会管区 | カトリック長崎教会管区 |
聖職者 | |
大主教 (大司教) | ペトロ中村倫明 |
主任司祭 | 使徒ヨハネ山脇守 |
歴史
編集明治時代、長崎の市街地にあるカトリック教会は大浦天主堂の他になく、日本人信徒のための教会が求められており、フランス人女性からの寄付を受け大村藩の蔵屋敷跡に建築された。設計はパリ外国宣教会のパピノ神父
- 1897年(明治30年)9月8日 - 献堂式を挙行。
- 1933年(昭和8年)5月15日 - 松山城放火事件の犯人により西中町天主堂(現・中町教会[3])が放火され全焼、付近に民家にも延焼し、10棟17戸を焼く[4]。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市への原子爆弾投下により、爆心地の2.6キロメートル南南東に位置する当教会も被災。爆風により天井の崩落など損壊し、その後発生した火災により側壁と尖塔以外が焼失した[5]。
- 1946年(昭和21年)12月 - 木造の仮聖堂が完成。
- 1950年(昭和25年)1月 - 聖堂復旧に着手。
- 1951年(昭和26年)10月16日 - 聖堂の復旧工事が完了し、山口愛次郎司教によって祝別された[6]。
教会の保護者
編集敷地内の施設等
編集- お告げの聖母保育園(お告げのマリア修道会立)
- 日本二十六聖人3少年像
- 聖トマス西と15殉教者(長崎十六聖人)記念碑
所在地
編集- 〒850-0055 長崎県長崎市中町1-13[7]
交通アクセス
編集脚注
編集- ^ 長崎の原爆遺構を記録する会『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。p. 75。
- ^ 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 p22 長崎文献社 ISBN 9784-888510912
- ^ 被爆の長崎映す「戦災絵はがき」 12枚の写真が語るもの西日本新聞、2020/5/29
- ^ 『犯罪調書』井上ひさし、集英社(1984)p189
- ^ 長崎の原爆遺構を記録する会『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。p. 76。
- ^ 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 p134 長崎文献社 ISBN 9784-888510912
- ^ カトリック中央協議会出版部編「住所録」『カトリック教会ハンドブック2015』カトリック中央協議会、2014年11月10日。252頁。ISBN 978-4-87750-556-1。
関連項目
編集- カトリック長崎大司教区
- 本島等 - 元長崎市長。当教会に籍を持つカトリック信徒[1]でもあった。
外部リンク
編集- 中町教会ホームページ
- お告げの聖母保育園ホームページ - ウェイバックマシン(2010年5月8日アーカイブ分)
- ^ “本島等さんを偲ぶミサの案内”. カトリック長崎大司教区. 2024年2月5日閲覧。