株式会社中田商店(なかたしょうてん)は東京都台東区アメヤ横丁にある主に軍装品、革製品などを扱うミリタリーショップ。代表者は中田忠夫(1927年2019年3月27日 91歳没)。

中田商店アメ横店の外観

概要

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1956年創業。1960年4月の貿易自由化を迎え、銀座露店の頃から扱っていた電気カミソリ万年筆等、紳士小物とともに一番売れていたのが輸入玩具ヒューブレイのモデルガン、最盛期には8台のリヤカー部隊を組織して販売していた。1962年六人部登と共にNAKATA製の日本初のモデルガン製作を本格的に企画開始、ハドソン国際産業CMCに製作を提案し、LUGER P-08WALTHER P-38TOKAPEBA TT-33等次々とヒット商品を企画販売した。日本のモデルガン業界の草分けともいえる。

1970年代のモデルガンの法規制によりモデルガンから払い下げ軍用品に力を入れ、1975年ベトナム戦争の終結を迎える。当時米軍補給基地があった沖縄でジャングルファティーグ100,000枚を払い下げで購入、アメ横店で販売すると当時の若者に大ヒットした。1980年代になるとフライトジャケットブームがあり、1985年公開の映画『TOP GUN』のヒットと共に1986年にはALPHA社のMA-1のBLACKが大ヒット、入荷発売日にはアメ横店の前に200人以上の若者が行列を作って並び、10時の開店から2時間あまりで1,000枚のMA-1が完売した。

現代ではALPHAAVIREXHOUSTONなど米軍のミリタリージャケットやBATESのタクティカルブーツ、台湾J-TECHのバッグ類、ポーランドHELIKONTEXロシアSPLAVアウトドア系ミリタリー衣料も販売している。

「中田忠夫氏の着眼点は10年20年30年と販売できるような高機能、高品質のものを安く提供していくというポリシーが、こんにちの基礎を築いているのではないだろうか」[1]

創業者の中田忠夫は1927年(昭和2年)、山口県熊毛郡平生町堅ヶ浜にて兼業農家の中田幸槌・そめ夫妻の三男として誕生、1940年(昭和15年)に山口県立柳井商業学校へ進学し柔道部に籍を置いていた。1944年(昭和19年)、中田が16歳の時に上京して中野区大和町に住みながら専門学校への手続きを済ませるが、9月になると東京は連日のように警戒警報が出たため身近に戦争を実感した。志願の徴兵検査においては近眼のため不合格となり兵役に進めなかった。勤労動員された愛知県の中島飛行機にて、日本海軍の艦上攻撃機「天山」や偵察機「彩雲」等の製造に従事していた。1945年(昭和20年)2月、B-29の夜間空襲が激しくなって悲惨な状況を目の当りにした中田は、華北交通の職員募集の新聞広告を見て開封鉄路局へ入社。希望を抱いて大陸へ渡るも、1か月後の8月15日に終戦の日を中国で迎えそのまま残留。徐州での最後の民間人引揚団体に加わり1946年(昭和21年)4月に博多港に引き揚げた。翌5月から広島駅前マーケットで旧日本軍の軍服の売買を開始、同年8月には上京、広島で仕入れた軍服を東京で売買を開始した。1947年(昭和22年)、旧日本軍だけではなく進駐軍の横流し軍用品も扱うようになった。広島県呉市に進駐してきたオーストラリア軍から払い下げられたキィウイ英語版の靴クリームなども販売している。1950年(昭和25年)には朝鮮戦争が勃発、翌年までは広島と東京での商売が半々の生活であったが、1952年(昭和27年)9月1日から銀座で露天商を開始、本格的な東京進出である。1956年(昭和31年)に上野アメ横に1坪の店を構える。リヤカーから店舗での営業を開始し、1962年(昭和37年)現在地に移転した。

中田の最大の目標は「戦争防止」。そのための正確な記録を残す戦争博物館の設立を目標に軍用品のビジネスを開始、平和を願うための証として収集した軍装品は世界有数の物となっている。

大日本帝国陸軍大日本帝国海軍軍服などの軍装品の他アメリカ軍、ヨーロッパ諸国、中国などの各種ミリタリーグッズの実物の現用品、デッドストック、複製品などを主に扱う。革ジャンなどの革製品やスカジャンなども扱っている。ミリタリーファッションでは日本随一という声もある[2]

店舗

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アメ横店
東京都台東区上野6-4-10
米軍の払い下げ品が中心で、ミリタリー風のシャツ(新品)やバッジ・ステッカー、旧日本軍の軍装品、また軍用のフライトジャケットやライダース、ブーツ等の実用品が多い。アメ横の目立つ所にあるため土産物屋としての趣が強いが、国内・国外のミリタリーマニアの聖地でもある。
御徒町店 ※営業休止中
東京都台東区上野6-2-14
各国の軍装品の実物、払い下げ品、複製品が中心。マニア向けの品揃えで、アメ横からはやや離れた所にある。コロナ直後から店舗営業を休止しており、通信販売店舗として使用されている。
かつて御徒町店の二階は資料館となっていて、戦時中に使われた軍服・軍装品の実物や複製品が数多く展示・公開されていた。展示されている資料の横では時間帯によっては販売用の複製品が実際に製作されていることもあり、見学することもできた。現在は倉庫として使用されており、資料展示は非公開となっている。

上記直営店のほか全国にいくつかの提携店があり、中田商店の扱う商品を販売している。

提携店

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札幌キャプテントム

札幌市中央区南2条西1丁目6-5

ミリタリーショップ スワット

福岡市早良区荒江2丁目17−1

映像作品への協力

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大日本帝国陸軍大日本帝国海軍軍服や軍装の複製品、朝鮮人民軍の軍服の複製品を製作したこともあり、数多くのテレビドラマ・映画作品・舞台等で衣装として使用されている。中田忠夫が自ら史料を入手し、時には旧満州などの海外にあった工場に調査に行くこともあった。また、中田商店が1973年に出版した『大日本帝国陸海軍 軍装と装備』という書籍はテレビ、映画、舞台などの作品制作にあたって時代考証には必携のものとなっている。同書は一時期絶版で入手困難になっていたが、2009年5月に復刻され、同社の店頭およびネット通販で購入することができる。また、映像作品に登場する衣装や小道具も中田商店製のものが広く使われている。

近年の代表的な協力作品

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関連文献

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  • 『歴史群像 No,42 MAY,2000』(学研、2000年5月)148-153頁
中田忠夫のインタビューが掲載されている。同インタビューの中で人生の最大の目標は「この世から戦争をなくすことを訴えるための<<戦争博物館>>の設立」だと述べている。実際、中田商店のカタログでは商品広告のページを削ってまで戦時中の衣料や日用品の写真が掲載されている。
  • 『ラジオライフ別冊 裏モノの本』(三才ブックス、1990年10月)100-105頁
戦争博物館のために収集された軍服や無可動実銃、スクラップから再生された戦車装甲車などの膨大なコレクションが紹介されている。
  • COMBAT (コンバットマガジン) 2017年8月号 P4-P9 中田忠夫・小林太三『あの頃を語る』
モデルガンの草創期を語っている。
  • Mil Suma No.8 (2016 JAN)P31-P37 ジャングルファティーグを10万着買った男 中田忠夫 東京アメ横中田商店のレジェンド、中田忠夫氏に聞く
  • 『各国 軍装 装備品』 中田商店/制作 編集者/中田忠夫 昭和50年9月27日第一刷発売 株式会社白金書房
  • 『大日本帝国陸海軍 軍装と装備』明治・大正・昭和 制作/中田忠夫 監修/宇都宮直賢・寺田近雄・山本親雄 株式会社潮書房
  • 『大日本帝国陸海軍 軍装と装備』明治・大正・昭和 2 制作・監修/中田忠夫 発行/株式会社池宮商会

出典・脚注

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  1. ^ 一部コンバット、PXマガジンワールドフォトプレスより抜粋
  2. ^ 服を着るならこんなふうに 第20話

外部リンク

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