中村三平
中村 三平(なかむら さんぺい)は、幕末の志士。
時代 | 江戸時代後期(幕末) |
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生誕 | 天保14年(1843年)[1] |
死没 | 不詳 |
別名 | 富田三郎[1] |
概略
編集紀伊新宮藩士野中昌庵の甥[1]。漢学者海保漁村の塾に学ぶ。文久3年(1863年)同塾に入門した渋沢栄一らとともに攘夷のための挙兵を図る。同志には栄一の従兄弟である渋沢成一郎・尾高惇忠を中心に、栄一の剣術同門だった玄武館の真田範之助・佐藤継助・竹内廉之助・横川勇太郎など69名で、高崎城を夜襲して占拠し、続いて横浜の外国人居留地を焼き討ちにする計画だった[2]。やがて在京していた尾高長七郎(惇忠の弟)が帰宅して中央情勢を説き、計画に強く反対したため、尾高邸で栄一・成一郎・惇忠・長七郎の4人と協議した結果、計画は中止することとなった[3]。文久4年(1864年)尾高長七郎・福田治助とともに江戸に向かう途中、足立郡戸田で長七郎が往来人を殺傷したため、板橋宿で逮捕され伝馬町牢屋敷に入獄した[4][5]。