竹内 廉之助(たけうち れんのすけ)は、幕末の志士。下総国葛飾郡小金(現千葉県松戸市)の人。

 
竹内 廉之助
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保8年(1837年
死没 慶応4年2月8日1868年3月1日
別名 棟(諱)、隆卿、錬太郎、金原忠蔵
兄弟 廉之助哲次郎
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略歴

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実家は小金宿の名家である「笹屋」[1]文久3年(1863年)玄武館塾頭の真田範之助渋沢栄一らとともに高崎城奪取と横浜焼き討ちを計画(未発)[2]元治元年(1864年天狗党の乱に加わるが、弟の哲次郎鹿島の戦闘で戦死し、自身は捕虜となる。その後慶応4年(1868年相楽総三赤報隊結成に加わるが、2月、碓氷峠における小諸藩兵との戦いで戦死した。

出典

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参考文献

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  • 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編「竹内廉之助」『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 9784062108003 
  • 渋沢青淵記念財団竜門社 編『渋沢栄一伝記資料』 57巻、渋沢青淵記念財団竜門社、1964年。 
  • 渋沢青淵記念財団竜門社 編『渋沢栄一伝記資料 別巻』 7巻、渋沢青淵記念財団竜門社、1969年。