中常三島町
中常三島町(なかじょうさんじまちょう)は、徳島県徳島市の町名。渭北地区に属している。現行行政地名は中常三島町一丁目から中常三島町三丁目。2011年6月の徳島市の調査による人口は829名[1]。郵便番号は〒770-0813。
中常三島町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 渭北地区 |
人口 | |
• 合計 | 829人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-0813 |
地理
編集徳島市の北東部、中心駅徳島市の北東方、渭北地区の南東部に位置する。
西から1~3丁目。この丁番は、北と南の北常三島町と南常三島町の1~3丁目と東西の位置が揃っている。
川になかば囲まれた常三島の中部を占める。東を大岡川が流れ、橋で対岸の住吉に通じている。西は国道11号に面し(一部で道路の向かい側にまで伸びる)、助任橋と接する。
河川
編集歴史
編集常三島は、武市常三 (?–1593) が蜂須賀家政から賜り開いた武家町である。
徳島城築城のとき、城山東麓[2](北麓とも)にあった神明社が、鬼門(北東)の鎮めとしてこの地(現 1丁目)に移った。伊勢神宮の摂末社だったことから、神明社の東を南北に伸びる通り(現 1・2丁目境、南では現徳島大学総合科学部と工学部の間を通る)を伊勢ノ丁と呼んだ[2]。なお、現中常三島町ではないが、熊野丁(現 助任橋通り)の名の由来となったは熊野神社は神明社に合社された[2]。
神明社の北を東西に通る通り(現徳島大学北縁沿い)は中ノ丁と呼ばれた。伊勢ノ丁の東の通り(現 2・3丁目境)は古安宅丁、その東の通りは東ノ丁と呼ばれた。
現2丁目中央部、伊勢ノ丁と古安宅丁の間を東西に結んでいた通りは、薙刀丁と呼ばれた。日比野家屋敷と長井家屋敷があり、日比野克巳 (1827–1878) と長井長義 (1845–1929) の出身地である。日比野克巳は、藩の参政・物頭格・権大参事・総学司主事を歴任して教育行政を担当し、県初の銀行有隣会社を設立した。長井長義は、エフェドリンを発見した薬学者である。
明治期からは、常三島全体が常三島村、のちに常三島町だったが、1942年分割され、南北に3分した中部(西端部を除く)が中常三島町となった。
人口
編集2011年6月。徳島市の調査より[1]
世帯数 | 人口 | |
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1丁目 | 80 | 154 |
2丁目 | 92 | 182 |
3丁目 | 295 | 493 |
計 | 463 | 829 |
交通
編集バス
編集- 徳島市営バス
- 中常三島 - 3丁目
道路
編集施設
編集- 神明社 - 1丁目。
- 徳島大学友朋寮 - 2丁目。
- 医療法人橋本病院 - 3丁目。
- funky time常三島店 - 3丁目。
参考文献
編集- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)