中山栄親
中山家20代。正二位・権大納言。弾正尹
中山 栄親(なかやま ひでちか、宝永6年11月9日(1709年12月9日)- 明和8年5月22日(1771年7月4日))は、江戸時代中期の公卿。中山兼親の子。正二位・権大納言。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝永6年11月9日(1709年12月9日) |
死没 | 明和8年5月22日(1771年7月4日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇 |
氏族 | 中山家 |
父母 | 父:中山兼親、母:庭田重条の娘[1] |
兄弟 | 秀憲、庭田重孝、女子、男子: 正親町為実子 |
妻 | 勧修寺高顕娘 |
子 |
実子:四条隆師、花山院愛徳 愛親 |
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