中ノ町村
日本の静岡県浜名郡にあった村
中ノ町村(なかのまちむら)は、かつて静岡県豊田郡・浜名郡に属していた村。
なかのまちむら 中ノ町村 | |
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廃止日 | 1954年(昭和29年)3月31日 |
廃止理由 |
編入合併 笠井町、長上村、和田村、中ノ町村 → 浜松市 |
現在の自治体 | 浜松市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
![]() |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 浜名郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 4.86 km2. |
総人口 |
6,412人 (1953年12月末) |
隣接自治体 | 浜名郡飯田村、長上村、磐田郡井通村、池田村、富岡村 |
中ノ町村役場 | |
所在地 | 静岡県浜名郡中ノ町村 |
座標 | 北緯34度44分29秒 東経137度47分30秒 / 北緯34.74133度 東経137.79175度座標: 北緯34度44分29秒 東経137度47分30秒 / 北緯34.74133度 東経137.79175度 |
![]() 西遠地域の町村制施行時の町村。65が中ノ町村。 | |
ウィキプロジェクト |
地理
編集浜松平野に位置し、天竜川の西岸(右岸)にあった。もとは天竜川の東岸(左岸)にあり、豊田郡に属していたが、天竜川の流路が変更されたことで西岸に移り、所属郡が浜名郡に変更された。
- 河川:天竜川
歴史
編集交通
編集鉄道
編集道路
編集中ノ町村には旧東海道が通っており、天竜川の河岸の間の宿として栄えた[1]。江戸の日本橋と京都の三条大橋から等距離に位置することが名称の由来である[1]。天竜川の水運を利用した江戸との交易も盛んであり、集落内には伊豆石を用いた蔵が点在している。
江戸時代の天竜川には橋が架けられておらず、「池田の渡し」が両岸を結んでいたが、1868年(明治元年)に舟橋が設置され、1878年(明治11年)に常設の木橋である天竜橋が架けられた。1933年(昭和8年)には天竜橋を置き換え、国道1号(旧国道1号、現在の静岡県道261号)に鉄筋コンクリート製の天竜川橋が架けられた。
浜松市への編入後の1969年(昭和44年)、東名高速道路が開通して旧中ノ町村の村域に浜松インターチェンジが設置された。
名所・旧跡
編集- 六所神社 - 天竜川の堤防沿いにあり、かつて社殿は神社では珍しいとされる西向きだった[2]。8月には中野町煙火大会が開催される[2]。2020年(令和2年)には屋台(山車)が新調された[3]。境内脇に「中ノ町道路元標」がある。
- 八保神社
- 大宮神社
- 大甕神社
- 松之浦神社
- 子安神社
- 津島神社
- 松林寺 - 徳川家光の命で建立された薬師堂があり、徳川幕府歴代将軍によって信仰された[4]。2022年(令和4年)には愛知県一宮市の妙興寺で修業した伊藤康紘が住職に就任し、約100年ぶりに晋山式が挙行された[5]。
- 松雲寺
- 全岩寺
- 宗全寺
- 正福寺
- 天竜川紀功碑 - 浅野茂平の功績を称える石碑。1868年(明治元年)に明治天皇が東京行幸を行った際、浅野は天竜川に舟橋を架けて渡河を助けた。1894年(明治27年)建立。
- 伊豆石の蔵
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松林寺
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天竜川紀功碑
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伊豆石の蔵
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 22 静岡県』角川書店、1982年