下田勘次
下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日[1] - 1939年(昭和14年)7月3日[2])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。大正鳥取銀行監査役[3]。鳥取新報社長[4]。鳥取県平民[5]。
下田 勘次 しもだ かんじ | |
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生年月日 | 1875年11月4日 |
出生地 |
鳥取県八頭郡佐貫村和奈見 (現鳥取市河原町) |
没年月日 | 1939年7月3日(63歳没) |
出身校 |
鳥取一中 (現鳥取西高) |
所属政党 | 憲政会 |
配偶者 | 妻・下田その |
選挙区 | 鳥取県第2区 |
当選回数 | 1 |
在任期間 | 1920年5月10日 - 1924年1月31日 |
経歴
編集鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町)出身。下田弥平の長男[6]。
鳥取一中(現鳥取西高)に学び、また漢籍を林良造に学んだ[6]。
1904年(明治37年)村会議員、1907年(明治40年)に八頭郡会議員、1911年(明治44年)鳥取県会議員となり、引き続き1920年(大正9年)まで3期当選した[6]。この間佐貫村長も務めた[6]。
1920年(大正9年)5月、原内閣のときの第14回衆議院議員総選挙では、憲政会に推されて鳥取県第2区から立候補して当選し[6]、1期在任した[2]。
家族・親族
編集下田家
編集- 父・彌平[4]
- 弟
- 妹
- 妻・その(鳥取、田中文平二女[4])
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『鳥取県大百科事典』編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。