下河辺晴三

日本の音楽プロデューサー、実業家 (1942-)

下河辺 晴三(しもこうべ せいぞう、1942年12月3日 - )は、日本音楽プロデューサーで、オブリガート社長。

来歴・人物

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下河辺三史・美世夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる[1][2]。父・三史は実業家下河辺建二の次男で日製産業(現・日立ハイテク)の元社長[1][2]、母・美世は元内閣総理大臣芦田均の長女[1][2]。長兄は元嘉悦大学助教授の下河辺元春[1]

学生時代からバンド活動をし、青山学院大学を卒業した。内藤法美越路吹雪夫妻の紹介により1969年に東芝音楽工業に入社して洋楽販売を担当した[3]。1973年に邦楽制作部門に転じ、音楽プロデューサーとして活動する。高校時代からファンだった越路[3]をはじめ松任谷由実長渕剛ハイ・ファイ・セット桐ヶ谷仁原田知世東京キッド・ブラザースなどのプロデュースを手がけた。東芝EMIで制作部長を務めていた1978年には越路がパリでのレコーディングのため渡仏した時越路の夫・内藤とともに越路に同行している[3]

1997年に取締役となり、EMI本部長に就任した。2002年11月に東芝EMIを退社し翌年12月に芸能事務所のオブリガートを設立し社長に就任した。

晴三の従姉・牧子(下河辺三史の兄・孫一の次女[1][2][4])とその夫・小澤俊夫[1][2][4]の次男にあたる小沢健二[4]フリッパーズ・ギター解散後の1993年にソロデビューしたが、その時契約したレコード会社は晴三が当時勤務していた東芝EMIである。

三陽商会の会長や取締役相談役を歴任した吉原敬一(三陽商会の創業者・吉原信之詩人吉原幸子の兄[1])の長女と結婚し1女をもうけた[1][2]

参考文献

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脚注・出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版。
  2. ^ a b c d e f 佐藤 『閨閥』 293頁。
  3. ^ a b c 島野 『夢の中に君がいる』 220頁。
  4. ^ a b c 小谷野 『日本の有名一族』 47頁、49頁。