下河辺三史
来歴
編集日本鉱業(現・ENEOS)の社長を務めた下河辺建二の次男として東京府(現・東京都)に生まれる[1][2][3]。兄の下河辺孫一は下河辺牧場の創業者となっている[1][2][3][4]。
1932年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)を卒業して日立製作所に入社[3]。立憲政友会所属の衆議院議員・芦田均の長女・美世と結婚し、3男をもうけた[3][4][5]。
戦後、義父の芦田が幣原内閣の厚生大臣として入閣すると、日立を退社して厚相秘書官となる[3][5]。芦田が片山内閣の外務大臣就任にともない外相秘書官[3]、芦田内閣発足と同時に首相秘書官となった[3][4]。
その後、日立グループの商社・日製産業(現・日立ハイテク)に取締役営業部長として入社[3]、1959年常務に就任[3]。その後1964年専務となり、1965年7月社長に就任[3][4][5]。1968年からは日立リース(現・三菱HCキャピタル)取締役も兼任した。その後1981年6月会長に[3]、1985年相談役に退いた。
親族
編集山下汽船(現・商船三井)常務や山栄船舶社長等を務めた漆野寿一は義兄[1][3]。
長男の下河辺元春は国際政治学者の進藤榮一とともに「芦田均日記」の編纂をしたことで知られている[3][5]。また、三男は音楽プロデューサーの下河辺晴三[3][4]。
参考文献
編集- 『人事興信録 第14版 上』 人事興信所、1943年10月1日発行、シ85頁
- 『人事興信録 第15版 上』 人事興信所、1948年9月1日発行、シ20頁
- 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント』 立風書房、1981年10月30日第1刷発行、292-294頁
- 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年10月15日発行、432頁
- 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年12月10日発行、382頁
- 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、404頁
- 『週刊 池上彰と学ぶ日本の総理 30 幣原喜重郎・片山哲・芦田均』 小学館、2012年8月21日発行、25頁